山から無事に帰ってくるために 船木上総

山から無事に帰ってくるために
船木上総
かずさ先生とミギャーが低体温症について話しています。
【低体温症とは】
ミギャー: 平成 21 年にトムラウシ山で 8 名の登山者が低体温症でなくなる痛ましい事故がおこ
りましたが、そもそも低体温症とはどんな病気ですか。
かずさ: 低体温症は「コア温度が 35℃以下になった状態」だ。人間の体は、
「コア」と「シェ
ル」でできてる。「コア」は、心臓とか肺とか脳がある体の真ん中を指す。体の表皮とか筋肉と
か、コアより外側を「シェル」と呼ぶ。
「コア温度」が下がっていくのが低体温症だよ。正常は
37℃位で脇より少し高いから、熱が出たと思わないでね。
ミギャー: コア温度は普通の体温計で測れますか。
かずさ:
ふつうの脇での体温計ではシェル温度しか測れない。コア温度測るためには耳式体温
計を使う。テルモのミミッピでは、耳の穴に差し込んで一秒で答えが出るよ。
ミギャー: トムラウシでは強風が吹いて寒かったみたいですが、そういう時は小屋から出てす
ぐ低体温症になるのですか。
かずさ: 天気が悪いと出発から 5~6 時間で低体温症になる。その 3 時間後には死が待っている。
ミギャー: こわいですね。どうして体温が低くなるんですか。強風と関係ありますか。
【熱喪失】
かずさ:
いいことに気が付いたね。風が吹くと対流で熱を奪われる。私たちがせっかく暖めた
体のすぐ外側の暖かい空気を、風が持って行ってしまうので、私たちはまた暖めなくちゃいけな
い。その繰り返しで熱が奪わるんだ。気温 5℃でも風速 5m 以上の風が吹けば、体感温度は零下。
風速 10m で強風注意報が出る位だから、5m の風は山ではざら。風をよける工夫をしないとい
けないねぇ。
ミギャー: また収容された人はビショビショに濡れていたそうですね。
かずさ:
濡れも熱を奪う大きな原因だよ。雨だけでなく、露でも、渡渉でも、汗でも濡れる。
体重 60 キロの人が 500g の汗をかけば、5.5℃体温が下がる計算になる。水が蒸発するとそれだ
け大量の熱を奪っていくんだよ。
ミギャー: ビバークした人は、地面にマットを敷いて、アルミシートを着たそうですね。
かずさ:
体が冷たいものにくっ付いていると熱が奪われるよね。これを伝導というんだよ。そ
れを防ぐためにはマットを敷いて断熱しないと。また、安静時の熱喪失の一番大きい原因は放射
熱で、私たちは赤外線を出していて、これにより放射熱が奪われている。これは普通の服では防
げない。でも、アルミシートなら防げるんだ。レスキューシートをいつも持って歩くようにして
ね。
ミギャー: いろんな熱の奪われ方があるんですね。放射、蒸発、対流、伝導ですか。
かずさ: 山ではその 4 つを意識し、対流を防ぐためには防寒着を重ね着し、必要あればダウン
を着て、風をよける場所で休むこと、伝導を防ぐためにはマットを敷く、金属を直接つかまない
などの注意が必要。また、濡れたものは着替える、これが原則。少なくとも乾かさないといけな
いね。
【熱産生】
ミギャー: 普段、熱が奪われているのに、どうして体温は一定なの。どこかで熱が作られてい
るのですか。
かずさ:
そのとおり。奪われていく熱と作られる熱がバランスをとって体温が一定になってい
るんだよ。
ミギャー: 寒い冬は鍋料理。食事をとると体があったまりますよね。
かずさ: そうそう、熱の源は食べ物だね。食事から得られたエネルギーの 75 %以上が結局は熱
になるんだ。体重 1kg 当たり、1 時間に 1kcal の熱を出している。もし熱がさっきのように喪失
されなければ、1 時間に 1℃体温が上昇してしまうんだ。
ミギャー:学校で蛋白質と糖質は 1g で 4kcal、脂質は 9kcal のエネルギーが得られると習った覚
えがあります。エネルギーを一番得られる脂質をたくさんとればいいですよね。
かずさ: 君のおなかを見てみればわかるけど、脂肪は体にたくさん(10 万 kcal)ある。でも燃え
にくいんだ。脂肪は脂肪組織から一度血液に出て、筋肉にたどり着いてやっと燃える。つまり、
手間がかかる。それに比べ糖はもともと筋肉の中にあり、筋肉の中で燃える。でも糖は体の中に
少し(1600~2000kcal)しか保存できないので、すぐ燃えきっちゃう。体をストーブだと思って
みて。それを温めるためには薪がいるけど、脂肪は、しめった薪。たくさん歩けど燃えにくい。
糖はたきつけ。すぐに燃えるがすぐなくなる。そこで、繰り返し行動中に糖質を含んでいる食べ
物を口にするのが、熱産生の点で大切だよ。
ミギャー: 糖質が大切なのですね。そういえば、何分かおきに食べ物を口にして助かった人が
いました。でも、休憩時間に食事をとっても体が冷えることがあります。どうしてですか。
かずさ: そうだね。運動している時は体で作られる熱の 3/4 は筋肉で作られるけど、立ち止ま
れば、その産熱量は 1/5 程まで低下するんだ。筋肉は動かすと熱を作るけど、休むと少ししか作
ってくれない。
ミギャー: トムラウシの生存者が次のように言っていました。
「北沼での停滞の後、体が一気に
冷え込んできた。腕で押さえても止まらないほど全身が震え、歯がガチガチ鳴った。四つんばい
で歩き,やがて記憶をなくした。どこで倒れたか記憶にない。」
かずさ:
体はビショビショで強風のため、たくさんの熱が奪われたが、それに対抗して、運動
により筋肉は熱を産生していた。それが、1 時間もの停滞で、熱産生が著減し、低体温症になっ
ていったんだね。厳しい天候下では、長い休憩はしないこと。
以上、食事と運動が熱産生に重要であることがわかったね。でも、もう一つ熱産生するものがあ
るけど何かわかるか。ヒントは寒いときに経験したことがあるはずだよ。
ミギャー: えーと、えーと、体がガタガタしますね。
かずさ: ピンポーン!
【低体温症の症状】
ミギャー: ガタガタ以外に低体温症になるとどんな症状がでてくるんですか。
かずさ:この表をみてごらん。
コア温度 ℃
症状
35
最大のふるえ、判断力の低下
34
健忘
33
運動失調 意識の低下
32
ふるえ消失
31
血圧測定不能
30
心房細動 筋硬直
構音障害
29
瞳孔散大 心室細動
27℃以下 死人様 心停止
ミギャー:
32℃以下になるとふるえがなくなるんですね。するとぐんぐん体温下がってしまう
んじゃないんですか。
かずさ:
さすがミギャー。またまた、いいことに気が付いた。さっきふるえは熱産生するとい
ったね。それがなくなると、急速に体温は下がるんだ。震えているとき、筋肉を動かすため、筋
肉の中のグリコーゲンを薪として使うんだけど、糖質は保存が少ないので、使い切ってしまう。
すると、ふるえがとまるんだ。32℃以下まで体温が下がった場合、現場で体温を再び上げるこ
とは、まず不可能と考えていいだろう。だから、32℃以下の重症になる前に発見しないといけ
ないね。
また、上の表の症状は順序正しく出てくるわけではなく、急速に大量の熱が喪失しているときは、
症状を飛び越えることもあるよ。また、個人差もあり、同じ温度で同じ症状が出るわけでもない
ことにも注意しないとね。
【低体温症の早期発見】
ミギャー: 低体温症ってどうやったら発見できるんですか。
かずさ: 症状の変化で低体温症って気が付くことが、早期発見に結びつくよ。
以下の症状は、見つけやすい症状だよ。
〔発見しやすい症状〕
n
歩くのが遅くなり、みんなに遅れる。
n
岩場を歩くのが困難になる。
n
ゆっくりと間延びしたしゃべり方。
n
ブツブツ言う。不平をもらす。
次に上げた症状も、低体温症の早期発見に必要だけど、少しわかりにくい症状だ。
〔発見しにくい症状〕
n
寒気がして不快である。
n
精神的にも反応が遅くなる。
n
非協力的になる。
n
震えたり、とまったり。
ミギャー: 低体温症になるとみんなについていけなくなるんですね。
かずさ:低体温症を一言で言うと「疲労感」だ。低体温症の場合、体を動かすのに大変多くのエ
ネルギーを消費する。たった 0.6 度体温が下がっただけで、安静にしているだけでも、正常体温
の人が歩いているのと同じくらいの酸素を消費する。だから、疲労凍死なんて言い方も昔使われ
たんだ。寒くて、濡れたとき、あるいは荒れた天気のときに、出発から 5~6 時間後に、だんだ
んみんなについていけなくなった人が出た場合、その人は低体温症になっているかもしれないね。
ミギャー: トムラウシでは次から次へと倒れていきましたね。
かずさ:
そう。メンバー全体を見る目が必要。特に最後尾の人が、変化に気がつくことが多い
が、もし誰かが低体温症の症状を示したら、他の人は大丈夫かを必ずチェックすることも必要だ
よ。
【軽症と重症】
現場で 32 度以下の重症を診断するためには、次の点に注目してね。
n
意識が低下 している。
つまり、口ごもり、呼びかけや痛みによる刺激への反応が鈍いかない。
n
心拍数や呼吸数が低下する。
こうなると重症と考えてよい。
【低体温症の現場処置】
ミギャー:もし仲間が低体温症になったらどうしたらいいですか。
かずさ:
まず重要なことは乱暴に扱わないことだ。低体温症につよい臓器と弱い臓器があるけ
ど、どこが強くてどこが弱いと思う?
ミギャー: さっきの表をみると心臓の不整脈がたくさん書いてあったので心臓が弱いんじゃあ
りませんか。
かずさ:
そのとおり。乱暴に扱うと重症の低体温症の場合は心臓が心室細動という不整脈をお
こして、とまってしまう。逆に強い臓器は脳で、30℃で 15 分心臓が止まっていても、脳は元通
り回復するよ。
ミギャー: 乱暴に扱ってはいけないのなら、歩かせてはいけないのですか。
かずさ: すこしふるえているが、自分で普通に歩ける人は、低体温症のなりかけなので、運動
で体を温めることができる。だから、歩かせてもいいし、冬なら下のスキー場まで滑っていって
も良い。でも、震えが強く、自分でとめることができない人は、歩かせてはいけない。
ミギャー: そういう人がでたら、現場ではどうしたらいいですか。
かずさ: 次の三つを頭に入れて。
n
避難 風と雨・雪と低温から避難する。風の防げる場所にテントを張り、暖をとる。
n
湿った衣類の処置。脱力が強く、脱ぐのに協力できない場合は、ナイフで切り裂く。
n
パッケージの形で体をくるんで保温する。先ずグランドマットをしいて寝袋に入れそ
の上にアルミの断熱シートを巻く。輸送するときはその上に防水シートをまく。防水シートは雨
から濡れるのを防ぐため、一番外側にまく。もし,パッケージにより完璧に断熱できれば,患者に
とって、震えは最も効率的な産熱となるんだ。
ミギャー: 体を暖めるにはどうしますか。
【軽症の低体温症に対する処置】
かずさ:
もし、医療機関に行けないか,30分以上かかるなら、再加温しなければならない。
先ず体の中からの加温だけど、暖かい砂糖の入ったお湯を上げるのがよい。さっき言った焚き付
けをあげることになる。震えのエネルギー源となり加温につながる。もしお湯がつくれないとき
は砂糖水でもいいよ。でも、むせるときは無理やり飲ませてはいけない。次に体の外からの加温
だけど、 ホカロンは体温を上げるのには役に立たないよ。最近はお湯を入れることのできる耐
熱性の袋(プラティバス・ウォーターボトル)があるので、湯たんぽ代わりに使うといいよ。置く
場所は脇の下や首、側胸部。
ミギャー: 処置してあげて元気になったら、また歩かせていいの?
がすさ: 少なくとも 30 分は安定な状態であることを確認し、できれば鼓膜温度が正常になった
ことを確認して、何枚かよけいに服を着せて、外に出てもいいよ。
ミギャー: 32 度以下と思われる重症の場合はどうしますか。
【重症の低体温症に対する処置】
心臓が動いている場合は、搬送はできる限り丁寧に扱って心室細動を避けること。水平位を保つ
こと。四肢はこすってはいけないよ。 加温はしてよいが、以下の禁止行為を守って。
n
再加温するまで、座位,立位は禁止。
n
食物や飲み物を与えてはいけない。
n
歩かせて再加温しようとしてはいけない。
ミギャー: 心臓が止まった場合はどうしますか。
カズサ:
まず心拍、呼吸の有無を 60 秒間の観察し、なければ 3 分間の換気(口口呼吸)をする。
その後 60 秒間の観察 の観察をして、もし循環の兆候がないときは、次の二通りに分かれるよ。
n
心電図モニターがなく 3 時間以内に病院につく場合は
心臓マッサージをしないこと! ただし、加温と換気(12/分)はつづける。
n
心電図モニターがなく病院に着くまで 3 時間以上かかる場合は加温・換気しながら心
臓マッサージをする。
3~6 時間して助かった人もいるんだ。野外での心肺蘇生では 3 割の人が助かったという報告も
ある。しかし、救助者の疲労、安全から考えて限度はある。アラスカでは 30 分やって回復しな
い場合は死と判断してもよいとしている。
【雪崩救助】
ミギャー: Nature に載った論文では、雪崩に埋まった人の生存率は 43%と出ていました。死
亡原因としてどんなものがありますか。
カズサ::死亡全体の 80%が窒息、10-15%が外傷、そして低体温症は 5%だよ。
ミギャー: 低体温症の割合は少ないんですね。
カズサ:
雪が断熱してくれるので低体温症にはなりにくいんだ。生存率は救助される時間がた
つにつれて低下してくるよ。雪に埋没してから 15 分以内の生存率は 92%だが、35 分たつと 30%
に低下し、90 分までは大体変わらないが、それを過ぎると急速に減少し、130 分たつとたった
の 3%だよ。
ミギャー: 死亡原因と今おっしゃった時間帯は関係ありますか。
カズサ: 最初の 15 分でな亡くなる方は、ほとんどが致命的な外傷だ。そして 35 分までに亡く
なる方は、鼻や口の周りの空気の層つまりエアーポケットがない人が、窒息により亡くなるんだ。
もしエアーポケットがあれば、埋没 90 分後まで生き延びれるので、35~90 分の間は死亡率が
下がらないんだ。しかし、35 分をすぎるとだんだん低体温症になってくるんだ。90 分を過ぎる
と外界と遮断されているため多くは窒息で亡くなる。
ミギャー: すると最初の 15 分がゴールデンタイムですね。
カズサ: それが重要。15 分では救助を呼んでもこれない。仲間が埋没者を救助しなければいけ
ないんだ。つまりセルフレスキュー。
ミギャー: 具体的にはどうすればいいのですか。
カズサ: その手順を簡単にまとめると次のようになるよ。
【雪崩発生時のセルフレスキュー手順】
雪崩事故発生
自分たちの安全確認
最初の 1 分間で…
雪崩の目視、観察
雪崩発生時刻の確認
捜索するしないの決定
捜索リーダ決定
捜索者、生存者の安全確認
埋没者/行方不明者の人数把握
生存者から情報収集
捜索エリア決定
発生から 3 分以内にすべてのビーコン受信モードに
最終目視点/埋没地点の確認(できればマーキング)
捜索方法決定
捜査開始
優先箇所決定
プローブ、シャベル、ファーストエイドキット携帯
発生から 5 分以内に埋没者の場所の絞り込み
ピンポイント捜索
プロービングして埋没者の場所の特定
発生から 8 分以内に掘り出す
必要に応じてファーストエイド施す
搬送
ミギャー: 聞いただけでも大変だ。
カズサ:
何度も雪崩救助訓練をして、落ち着いて、順序よく、手際よく救助できるようにして
おかないと、ほんとの山スキーヤーとはいえないよ。
ミギャー: はい、わかりました。警察や消防の救助を呼ぶのはどの段階ですか。
カズサ: 携帯電話があれば、できるだけ早く連絡をしなさい。三種の神器はわかってるね。
ミギャー: はい。ビーコンとゾンデ棒とスコップです。それらを使って 15 分以内で掘り出され
て、元気に歩ければいいけれど、それより時間がかかったばあい、救助はどうすればいいんです
か。
カズサ: 35 分以内に掘り出された人は、窒息、外傷により危険な状態となる。頭も体も完全に
埋まっていた人は、病院に搬送しなければいけない。
もし呼吸がなければ CPR をすくなくとも 30 分はしないといけない。
ミギャー: 掘り出されるのに 35 分以上かかった人は低体温症になっている可能性が強いです
よね。
カズサ: そうだ、だから 35 分以上かかった人は丁寧に扱うことが大切。心臓が動いていない場
合、もし鼻と口の両方が雪でふさがれており、エアポケットがまったくない場合は、CPR をし
ない。その理由はさっき言ったとおりだ。エアポケットがあるか不明のときは低体温症のときに
学んだやり方で CPR をおこなう。
ミギャー: かずさ先生、本日教わったことを身に付けて、実際の山で使えるようにします。あ
りがとうございました。
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ミギャ-は三宅君(246)のあだ名です。実際の粉雪には彼の書いた挿絵が入ります。お楽しみに。
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船木上総
医療法人平成醫塾
苫小牧東病院
〒053-0054 苫小牧市明野新町 5 丁目1番 30 号
℡:0144-55-8811
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