日本移民学会ニューズレター

日本移民学会ニューズレター
ウェブ簡略版
2007 年 8 月 1 日 第 46 号
発行 木村健二・篠田左多江・坂口満宏・森本豊富
日本移民学会事務局:早稲田大学人間科学学術院 森本研究室
編集 白水繁彦
日本移民学会ホームページ
http://www.gssm.musashi.ac.jp/research/imin/index.html
本号の記事から
2007
p. 4 200
7 年度 総会議事録
p. 8 新入会員一覧
共同研究プロジェクト
プロジェクト助成
助成のお
のお知
p. 9 共同研究
プロジェクト
助成
のお
知らせ
回年次大会のお
のお知
p.10 第 18 回年次大会
のお
知らせ
p.11
第 17 回年次大会
自由論題報告および
自由論題報告およびシンポジウム
およびシンポジウム要旨
シンポジウム要旨
● 2007 年度 第1回 運営委員会議事録
日 時:2007 年 4 月 28 日 14:00~16:00
場 所:早稲田大学大隈会館 3 階S3 会議室
出席者:木村健二、篠田左多江、坂口満宏、森本豊富、飯田耕二郎、戸上宗賢、粂井輝子、
高木真理子、山本岩夫、守屋友江、島田法子、白水繁彦
(事務局)鴛海量良、小林孝広、東 聖子
(委任状)飯野正子、竹澤泰子
報告事項
1.各種委員会
(1)編集委員会
庄司啓一委員長より以下の報告があった。『移民研究年報』第 13 号は投稿論文数が前号に比
べ多くなり、査読に時間がかかった。また『移民研究年報』第 14 号については、現在までの
ところ 13 号に比べ論文投稿数が少なく、論文7点が投稿されており、特集については移民と
女性、家族を予定している。
投稿時点で非会員による投稿があったが、次回の運営委員会で承認見込みとし、編集委員の
判断により投稿を受け付けた。
(2)大会企画委員会
飯田耕二郎大会実行委員長より、第 17 回大会(6 月 23 日・24 日、大阪商業大学)の準備状
況について以下の報告があった。
シンポジウムの報告順を変更し、ラウンドテーブルを森本豊富委員が担当することに決定し
た。ラウンドテーブルのコメンテーターと自由論題報告の各会場司会者については現在検討中。
また、森本委員より今後のスケジュールについて、5月上旬に大会プログラム発送、5月下旬
に発表抄録の作成を予定していると報告があった。
(3)共同研究推進委員会
1
坂口満宏委員より 2007 年度ワークショップの準備状況と共同研究助成について以下の報告
があった。
すでにニューズレターで告知している通り、8 月 4 日(土)、5 日(日)に横浜の海外移住資
料館で 2007 年度ワークショップを開催する。1 日目は、2006 年度共同研究助成の成果報告、
海外移住資料館の見学、懇親会、2 日目は海外移住資料を教材とした移民学習についての研究
発表を予定している。大会やホームページ、印刷広告等を通して広報活動を行っていく。2007
年度の共同研究助成については、早ければ来年度ワークショップでの報告を考えている。2008
年度共同研究助成について 10 月頃ニューズレターを通じて積極的に応募を呼びかける予定で
ある。
(4)ニューズレター委員会
白水繁彦委員長より『日本移民学会ニューズレター』第 45 号が 2007 年 3 月 30 日に発行・
郵送されたことが報告された。第 46 号については、2007 年 6 月に行われる大会の概要を掲載
予定であること、2007 年 7 月下旬に発行・郵送予定であることが説明された。また、13 号よ
り論文アブストラクトのホームページ掲載を行っているが、このことを機会にホームページの
リニューアルを段階的に行ってきた。
2.事務局
(略)
審議事項
1. 会員動態 (4 月 27 日現在)
以下の入会希望者 10 名について審査し、いずれも正会員として承認した。
鈴木裕典(すずき・ひろのり)、大井由紀(おおい・ゆき)、田中健二(たなか・けんじ)、渡辺
伸勝(わたなべ・のぶかつ)、半澤典子(はんざわ・のりこ)、今村忠雄(いまむら・ただお)、
土田久美子(つちだ・くみこ)、中山京子(なかやま・きょうこ)、神田 稔(かんだ・みのる)、
全 淑美(ちょん・すんみ)
また、正会員3名の退会を承認した。
2.2006 年度の総括及び 2007 年度の活動方針
木村会長より 2006 年度の総括と 2007 年度の活動方針について以下の説明があった。
2006 年度は、各種委員会間の情報交換や連携があまりうまくいっていないように見受けられ
た。2007 年度には各種委員会からの情報を共有し、学会運営の効率化をはかる必要がある。
2007 年度に学会点検評価実施計画を作成する。各種研究における若手登用や企画の斬新さにつ
いては一定の成果を見ることができた。大会開催校と企画委員会の連携を強める必要がある。
財政状況については悪化の傾向が見られるため、資金の有効利用と収入増を図る必要がある。
広報活動を活発化するため、ワーキンググループの立ち上げなどを検討している。
3.2006 年度決算案・2007 年度予算案
鴛海事務局次長より会計状況について以下の報告があった。
2006 年度は支出増の赤字となっており、収入増加のため、新入会員獲得を図る必要がある。
委員からは会費に関して、正会員の会費を 8000 円に値上げし、院生および学生会員について
は 4000 円に値下げすることで、院生の会員数増加をはかるという提案があった。この件につ
いては四役会議にて検討した後、研究大会後の総会において提案することとなった。2007 年度
予算案は承認された。
2
4.その他
(略)
以上
(文責
東
聖子・森本豊富)
● 2007 年度 第 2 回 運営委員会議事録
日 時:2007 年 6 月 23 日 10:30~12:30
場 所:大阪商業大学 449 講義室
出席者:木村健二、篠田左多江、坂口満宏、森本豊富、飯田耕二郎、戸上宗賢、粂井輝子、
高木真理子、山本岩夫、守屋友江、島田法子、白水繁彦、竹澤泰子
(事務局)鴛海量良、小林孝広、東 聖子
(委任状)飯野正子
報告事項
1.各種委員会
(1)編集委員会
島田法子委員より『移民研究年報』第 14 号の編集進捗状況について以下の報告があった。
第 14 号への応募総数は 19 名で、内訳は専任教員 10 名、院生 7 名、非常勤 3 名となっている。
対象地域については北米 7 点、日本 5 点、南米 3 点、アジア 2 点、ヨーロッパ 2 点であった。
また、編集委員長である庄司委員長が運営委員会に出席することについて、総会にて提案、承
認を得る予定であることが確認された。
(2)共同研究推進委員会
坂口満宏委員長より今年度のワークショップと今後の予定について以下の報告があった。
今年度ワークショップを 8 月 4 日(土)、5 日(日)に横浜国際センター海外移住資料館にて
開催する。1 日目は、2006 年度共同研究助成の成果報告、海外移住資料館の見学、懇親会、2
日目は海外移住資料を教材とした移民学習についての研究発表と、参加型の移民学習実演を予
定している。ワークショップ参加者の人数を把握する必要があるため、参加申込書(案)を作成。
この案で問題がなければ郵送および HP に掲載する。ワークショップのポスターを今年度の年
次大会にて配布し、さらに郵送で配布する。また、ワークショップでの発表を予定している先
生方に出張依頼書を送付する予定である。
(3)ニューズレター委員会
白水繁彦委員長より『日本移民学会ニューズレター』の発行企画について以下の報告があっ
た。第 46 号は 2007 年 7 月下旬に発行予定。第 46 号では、第 17 回年次大会報告を掲載する
ため、個人自由論題発表の各会場司会者に原稿を依頼済みである。
2.第 17 回年次大会関係
飯田耕二郎大会実行委員長より、第 17 回年次大会について以下の報告があった。不二出版
と御茶の水書房が出版ブースを設けている。受付にて、マイグレーション研究会の年報と立命
館大学で開催中のニューカレドニア日系移民に関する展示のチラシが置かれている。年次大会
での著作物販売については、申請があれば四役で検討することが確認された。また、村川庸子
大会企画委員長より大会シンポジウムのテーマについて、日本におけるニューカマー移民研究
3
にジェンダーの視点を入れることの重要性から「労働力としての移民女性」をテーマに掲げた
との説明があった。
3.事務局
(略)
審議事項
1.会員動態
(6 月 23 日現在)
以下の入会希望者 7 名について審査し、いずれも正会員として承認した。
ヤマモト・ルシア・エミコ、山根実紀(やまね・みき)、鳥巣 典(とす・つかさ)、窪田
暁
(くぼた・さとる)、柳 赫秀(ゆ ひょくす)、野村史織(のむら・しおり)、小川真和子(お
がわ・まなこ)
また、正会員 1 名の退会を承認した。総会員数は特別会員 7 件を含め 366 名。
2. 次期運営委員の選出
運営委員選出選挙管理委員会からの報告により、10 名が次期運営委員として選出された。選
出者は以下のとおり。
飯野正子、木村健二、粂井輝子、小嶋 茂、坂口満宏、篠田左多江、島田法子、白水繁彦、
竹沢泰子、森本豊富
また、選挙により選出された 10 名のほか、アンジェロ・イシ、庄司啓一、菅 美弥、高木真
理子、守屋友江、村川庸子の 6 名が運営委員により推薦された。
3.大会企画委員会
東京学芸大学で開催される次年度年次大会については、大会実行委員と大会企画委員とが連携
をとりながら、計画を進めていくことを確認した。
4.2006 年度決算案、2007 年度予算案、会計監査報告
山本岩夫委員、島田法子委員による会計監査を受けた 2006 年度決算案、2007 年度予算案が
承認された。
5.会費改定案の件
正会員の会費を 8,000 円に値上げし、学生・研究生の会費を 4,000 円に値下げした場合の収
入を試算したところ、収入の増減はほとんどみられないと鴛海事務局次長より報告があった。
しかし、収入を安定化させ、かつ学生の負担を減らし新入会員を増加させるため、2008 年度よ
り会費改定を行うという案を総会で提案することが確認された。
6.2007 年度総会関係
(略)
(文責
■
2007 年度 第 1 回
東
以上
聖子・森本豊富)
総会議事録
(文中、敬称略)
日
時:2007 年 6 月 23 日
場
所:大阪商業大学
432 講義室
4
司会
森本豊富
審議事項
1.2006 年度
議長
荒川正也
活動報告
(1)ワークショップの実施
2006 年 8 月 5 日、6 日に津田塾大学にて開催。
「1994 年以降の日本における移民研究の研究動向展望」
(2)共同研究推進企画の実施
前年度に続き共同研究プロジェクトへの助成を募集し、審査の結果 1 件の申請を採択。
(3)年次大会
2006 年 6 月 24 日(土)、25 日(日)に名古屋市立大学にて第 16 回年次大会を開催。
大会テーマ「グローバリゼーションと移民-国境を越える移民と市民権」を掲げ、ドキュ
メンタリーフィルムの上映と監督の講演、シンポジウム「グローバリゼーションと移民-国
境を越える移民と市民権」で2報告と2コメント、その後、総合討論を実施。他にラウンド
テーブル「移民研究における出身地と定着地」1報告と会場との議論。そして自由論題が 16
報告あった。
2007 年 6 月の大阪商業大学にて開催される第 17 回年次大会にむけて準備を進める。
大会企画委員会を中心として大会企画を準備、運営。大会テーマは「労働力としての移民女
性と日本社会」。
(4)『移民研究年報』第 13 号刊行 2007 年 3 月、161 ページ
特集:「移民と国籍/市民権」特集論文 2/ 論文 3/ 研究ノート 3/
書評 5/
新刊紹介 2
(5)『日本移民学会ニューズレター』
第 43 号(2006 年 8 月 1 日)、第 44 号(2006 年 10 月 20 日)、第 45 号(2007 年 3 月 25 日)。
日本移民学会公式ホームページの作成・更新。
(6) 運営委員会(2006 年度)
第 1 回(4 月 22 日):事務局引き継ぎに関する報告、2005 年決算案、2006 年度予算案。
第 2 回(6 月 24 日):学会ウェブページの更新とアルバイト代の増額、決算案・予算案の承
認、監査報告。
第 3 回(6 月 25 日):大会の反省と次年度大会への対応、編集委員の増員。
第 4 回(9 月 25 日):ワークショップ報告、次年度大会シンポジウムの企画。
第 5 回(12 月 9 日):次年度大会準備状況、次年度の共同研究プロジェクト助成の審査結果
と決定。
以上、森本豊富事務局長より報告され、承認される。
2. 2005 年度会計決算報告
(略)
3. 2005 年度会計監査報告
山本岩夫委員よる報告があり、承認される。
5
4. 2007 年度学会活動方針案
木村健二会長より、①今年度も共同研究の助成を行う。②次回 2008 年度大会が東京学芸大
学で 2008 年 6 月に開催予定であること。③ワークショップを JICA 海外移住資料館で 8 月 4,5
日に開催すること。④次回大会のシンポジウムテーマ設定とその進捗状況について報告があっ
た。また、昨年度と同様に、事務局作業の効率化のため学会作業の一部外部委託化に関する支
出を行う方針について説明があった。
5.2007 年度予算案
(略)
6.運営委員選挙結果
木村健二会長より、得票数上位 10 名と運営委員会による推薦者5名の報告とともに、年報
編集委員長の運営委員就任について説明がなされた。(以下、敬称略)
得票数上位者
:飯野正子、森本豊富、坂口満宏、粂井輝子、木村健二、島田法子、
白水繁彦、竹沢泰子、篠田左多江、小嶋 茂。
運営委員会推薦者:村川庸子、菅 美弥、守屋友江、イシ・アンジェロ、高木真理子
年報編集委員長 :庄司啓一
以上、16 名の次期運営委員名が紹介され、承認された。
7.会費の改定
森本豊富事務局長より、会費改定についての説明があった。大学院生・研究生の学会加入の
促進と事務局作業軽減のための外部委託経費の増加が背景にある。2008 年度より、大学院生・
研究生の会費を現行の 6000 円から 4000 円に、一般の 6000 円を 8000 円に改定することが報
告され、承認された。
8.その他
訃報
2007 年 5 月 26 日、佐々木敏二会員がご逝去されました。享年 73 歳でした。佐々木会員は、
日本移民学会の設立を呼びかけた一人で、1991 年 10 月の日本移民学会設立総会(第 1 回大会)
において運営委員に選ばれ、初代事務局幹事となる。『ニューズレター』の発行をてがけ、第 1
号(1992 年 2 月)から第 5 号(1994 年 3 月)を担当。その後は『移民研究年報』の創刊に尽
力し、創刊号(1995 年 3 月)から第 5 号(1999 年 3 月)までの編集委員長を務めた。主な著
書に『山本宣治』上・下(汐文社、1974、1976 年)、『日本人カナダ移民史』 (不二出版、1999
年、カナダ首相出版賞受賞)があり、編著に『カナダ移民史資料』全5巻(不二出版、1995
年)、『カナダ移民史資料Ⅱ』全6巻・別冊1(不二出版、2000 年、権並恒治氏と共編)、監修・
解説『正された歴史―日系カナダ人への謝罪と補償』(ロイ・ミキ、カサンドラ・コバヤシ著、
つむぎ出版、1996 年、カナダ首相出版賞受賞)などがあります。ここに佐々木会員による日本
移民学会への貢献に対して深謝するとともに、謹んでご冥福 をお祈り申し上げます。
(文責 坂口満宏)
以上
(文責
6
小林孝広・森本豊富)
● 2007 年度 臨時運営委員会議事録
(文中、敬称略)
日 時:2007 年 6 月 24 日 8:30~9:30
場 所:大阪商業大学 449 講義室
出席者:木村健二、篠田左多江、坂口満宏、森本豊富、飯田耕二郎、粂井輝子、村川庸子、高
木真理子、山本岩夫、守屋友江、島田法子、白水繁彦、アンジェロ・イシ、菅 美弥、小嶋 茂
(事務局)鴛海量良、小林孝広、東 聖子
(委任状)飯野正子、戸上宗賢、竹澤泰子
臨時運営委員会において、6 月 23 日に行われた総会で承認された 2008 年度~2009 年度日
本移民学会運営委員の役職が以下のとおり決定した。
木村健二(会長)
篠田左多江(副会長)
菅 美弥(事務局長・関東幹事)
坂口満宏(関西幹事・共同研究推進委員長)
粂井輝子(監査)
島田法子(監査)
(以上、四役及び監査)
イシ・アンジェロ
飯野正子
小嶋 茂
村川庸子
白水繁彦(ニューズレター・ホームページ担当委員長)
高木眞理子(大会企画委員長)
庄司啓一(年報編集委員長)
竹沢泰子
守屋友江
森本豊富
鴛海量良(会計)
(文責
東
以上
聖子・森本豊富)
■
日
2007 年度 第2回
総会議事録
時:2007 年 6 月 24 日 13:30~13:50
場所:大阪商業大学
司会 森本豊富氏
432 講義室
議長 荒川正也氏
1.2008 年度~2009 年度日本移民学会運営委員について
森本豊富事務局長より次期運営委員の体制について報告があり、承認された。
木村健二(会長)、篠田左多江(副会長)、菅 美弥(事務局長・関東幹事)、坂口満宏(関西幹
事・共同研究推進委員長)、粂井輝子(監査)、島田法子(監査)
(以上、四役及び監査)
7
イシ・アンジェロ、飯野正子、小嶋 茂、村川庸子、白水繁彦(ニューズレター・ホームページ
担当委員長)、高木真理子(大会企画委員長)、庄司啓一(年報編集委員長)、竹沢泰子、守屋友
江、森本豊富
(以上、運営委員 16 名)
鴛海量良(事務局次長・会計担当)
2.木村健二・次期会長の挨拶
3.椿
真智子・次回大会開催校代表の挨拶
以上
(文責
小林孝広・森本豊富)
● 2007 年度 第3回 運営委員会議事録
日
時:2007 年 6 月 24 日
16:30~17:30
場 所:大阪商業大学 449 講義室
出席者:木村健二、篠田左多江、坂口満宏、森本豊富、飯田耕二郎、粂井輝子、村川庸子、
高木真理子、山本岩夫、守屋友江、島田法子、白水繁彦、椿真智子
(事務局)鴛海量良、小林孝広、東 聖子
(委任状)飯野正子、戸上宗賢、竹澤泰子、
報告事項
(1) 第 17 回年次大会について
第 17 回年次大会について以下の感想および反省点が挙げられた。①ラウンドテーブルは好
評であり、今後継続すべき企画である。予想以上に参加者が多かったため、会場に狭さが感じ
られた。②シンポジウムの発表メンバーによる大会前の打ち合わせ等を考慮すると、同一地域
からメンバーを集めることが好ましいが、シンポジウムの趣旨により適したメンバーの参加を
優先すると難しい。③個人自由論題報告の各会場で、発表者による配布資料が不足していたた
め、開催校にて適宜印刷をして補った。また、開始時刻になっても発表者が現れない会場があ
った。
(2)次回第 18 回年次大会について
第 18 回年次大会の大会実行委員長である椿真智子氏より、開催校である東京学芸大学の特
色を生かした大会にしていきたいという次回年次大会へ向けての抱負が述べられた。
以上
(文責 東 聖子・森本豊富)
■ 新入会員一覧
★鈴木裕典(財団法人海外技術者研修協会)フィリピン人の日本での生活、就業事情
★大井由紀(一橋大学大学院社会学研究科博士課程・日本学術振興会)社会学、移民研究、
エスニック研究(アジア系アメリカ人研究)、華僑華人研究
★田中健二(摂南大学外国語学部教授)シアトルの日本人移民研究
★渡辺伸勝(関西学院大学大学院言語コミュニケーション文化研究科博士後期課程)
社会言語学、文化人類言語学、ブラジル移住史
★半澤典子(宇都宮大学大学院国際学研究科修士課程)ブラジル移民関係(移民誌、出稼ぎ
移民の環流について)
★今村忠雄(社団法人日本海外協会・会長)海外移住に関する啓発業務
8
★土田久美子(東北大学大学院文学研究科博士後期課程)アメリカ社会論、マイノリティ論
★中山京子(京都ノートルダム女子大学専任講師)国際理解教育、多文化教育、社会科教育
★神田 稔(株式会社神田育種農場代表取締役)アジア系アメリカ文化研究、特に戦後のアジ
ア系アメリカ人アーティストが生み出したポピュラー音楽(ジャズ・ロック・フォーク等)
の研究
★全
淑美(大阪経済法科大学客員研究員)朝鮮研究(近現代史)
(以上、2007 年 4 月 28 日第 1 回運営委員会承認分)
★ヤマモト・ルシア・エミコ(東北大学大学院文学研究科専門研究員)社会心理学(女性移民、
職業的移動、キャリア形成、外国人児童教育、比較研究)
★山根実紀(龍谷大学大学院経済学研究科修士課程)植民地主義、ジェンダー、労働研究
★鳥巣 典(同志社大学大学院社会学研究科博士前期課程)アメリカ日本人移民史
★窪田 暁(総合研究大学大学院文化科学研究科博士後期課程)文化人類学、スポーツ(野球)
を通した国際移動、トランスナショナルコミュニティ、ドミニカ共和国からアメリカ合衆国
への移民、移民とジェンダー
★柳 赫秀(横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授)国際法、国際経済法、国際関係論、
韓日関係
★野村史織(工学院大学・国士舘大学非常勤講師)文化研究、社会学、地域研究(北米)
★小川真和子(独立行政法人水産大学校水産情報経営学科専任講師)アメリカ研究、日米関係
史、ジェンダー
(以上、2007 年 6 月 23 日第2回運営委員会承認分)
■共同研究プロジェクト助成のお知らせ■
移民およびそれに関する問題を研究する共同研究プロジェクトに対して1グループにつき2年
間で 30 万円を助成する。とくに若い会員の独創的な研究を奨励することを目的とする。
応募要領は以下の通りです。奮ってご応募ください。
【概要】
助成件数は、年度ごとに1件。
研究に必要な書籍代、コピー・文房具などの消耗品代、調査や会議のための旅費・交通
費などが助成対象となる。
助成金を受けた団体はその成果を次のような形で発表することが義務づけられる。
2年目の移民学会年次大会・ワークショップなどで研究成果を発表すること。
またその成果を『移民研究年報』誌上に論文として投稿すること。
これらは共同または個人執筆のいずれでも可とする。
【応募資格】
個人ではなく2,3人のグループ。若い研究者が望ましい。
申請者全員が応募の時点で学会員であること。
ただし申請は団体の代表者が行う。
【募集期間】
2007 年 9 月 1 日~10 月 31 日(当日消印有効)
【申請書の請求】
日本移民学会事務局へ請求、またはウエブサイトからプリントした用紙を使用すること。
【送り先】
9
募集期間中に日本移民学会事務局へ送付。
【結果の公表】
共同研究推進委員会による審査の結果を 2007 年 12 月中に応募者に連絡し、ニューズレ
ターで公表する。
■第 18 回年次大会のお知らせ■
来年度の年次大会は、東京学芸大学において 2007 年 6 月 28 日(土)、29 日(日)に開催しま
す。
自由論題報告をご
をご希望
希望の
《 自由論題報告
をご
希望
の方へ 》
自由論題報告をご希望される方は、下記の要領を明記のうえ、日本移民学会事務局までお
申しみください。大会企画委員会にて検討いたします。申し込みは、原則として電子メールに
て事務局宛にお願い致します。
●要
領 (1)報告者氏名、(2)所属、連絡先、電子メールアドレス、(3)報告タイトル、
(4)1200 字以内の報告要旨
●申込み締切り 2007 年 11 月 30 日
●申込み先 日本移民学会事務局 (E メール):imingakkai@yahoo.co.jp
(郵送)〒359-1192 所沢市三ヶ島 2-579-15
早稲田大学人間科学学術院 森本研究室 日本移民学会事務局
●寄贈図書
・安藤由美/鈴木規之/野入直美 編『沖縄社会と日系人・外国人・アメラジアン―新たな出
会いとつながりをめざして―』(クバプロ、2007)
・岩間暁子/ユ・ヒョヂョン 編著『マイノリティとは何か―概念と政策の比較社会学―』
(ミ
ネルヴァ書房、2007)
・坂本悠一/木村健二 著『近代植民地都市 釜山』(桜井書店、2007)
・森本豊富/ドン・ナカニシ 編著『越境する民と教育―異郷に育ち 地球で学ぶ』
(アカデミ
ア出版会・あおでみあ書斎院、2007)
・山本岩夫/ウェルズ恵子/赤木妙子 編『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)
・李 洙任/田中 宏 著『グローバル時代の日本社会と国籍』(明石書店、2007)
■事務局からのお知らせ■
●年会費納入のお願い
2007 年度分の年会費 6,000 円を下記郵便振替口座へお振込みください。
加 入 者 名
日本移民学会
郵便振替口座
00960-5-95922
●住所や所属に変更のある方は、下記事務局までご連絡ください
〒359-1192 所沢市三ヶ島 2-579-15
早稲田大学人間科学学術院 森本研究室
日本移民学会事務局
℡/FAX:04-2947-6789
e-mail:imingakkai@yahoo.co.jp
10
■日本移民学会第 17 回年次大会 自由論題報告およ
自由論題報告および
およびシンポジウム要旨
シンポジウム要旨
● 自由論題報告
A 会場 司会:
司会:和泉真澄(
和泉真澄(同志社大学)
同志社大学)、物部
、物部ひろみ
同志社大学)
物部ひろみ(
ひろみ(同志社大学)
来場者数:70 人
1.岩村益典「日本統治時代の台湾花蓮港における農業官営移民の性格と位置づけ―植民地主
義・帝国主義との関連に於いて―」
本発表は、日本統治時代の台湾における官営農業移民村花蓮港吉野村に関して、出身地、移
住の条件、現地での生活と問題などを明らかにしている。台湾への官営移民は 1910 年に開始さ
れ、吉野村へは徳島県民が主に移住した。家族と一定の財産を持ち永住を目的とすることが条
件とされ、政府はこれを皮切りに台湾東部に純粋な日本人村を多数作る計画であった。先住民
との摩擦や災害などで開拓は困難を極めたが、青木米の完成後、移民村は発展した。官営移民
自体は 10 年で終了したが、住民は定住、敗戦後も現地にとどまることを望んだが、最終的には
引き揚げさせられた。発表では、徳島新聞、移民の手記、政府事業報告書、当時の村の地図、
現地に残る碑文など、豊富な資料を使い、移民側と政府側の両方の視点が紹介された。また、
徳島の特産品である藍染が吉野村で行われなかったのは、藍染は現金収入が高く、藍染従事者
に移民希望者がなかったのに対し、実際に移民したのは改修工事で土地を失った人びとであっ
たことなどが説明された。質疑応答では、移民を募集・管理した担当官庁に関する質問(答:
台湾総督府)や、他の地域、たとえば朝鮮の事例などと比較する視点が提案された。
2.デイ・多佳子「ジュン・フジタ―1920 年代の激動のシカゴを記録した日本人報道写真家―」
本発表は、広島出身で 20 世紀初めにシカゴに移住、63 年に同市で死亡したジュン・フジタ
の活動を紹介している。フジタは、大手新聞社に報道写真家として所属、1919 年の人種暴動や
29 年のアル・カポネの大虐殺事件などを記録し、1923 年には英語の短歌集を出版。絵画をたし
なみ、ミネソタ州に日本式家屋を建てるなど芸術家としても活躍した。発表者が居住するホス
ト国―アメリカから見れば、「日本人村」を形成する人間も、「村」を離れた一匹狼も同じ"移民
"である。20世紀初頭にバンクーバーからシカゴに移り住み、ホスト国の主流社会で異色の活
躍をしたジュン・フジタは、アジア系アメリカ人コミュニティでは認められているが、日本語
世界では一切知られていない。そのギャップがどこに起因しているのか、日本人論につながる
移民論を模索したいという問題意識をもって、発表者はフジタを紹介した。質疑応答では、フ
ジタの戦争中の行動や、排斥の体験の有無、また著作がすべて英語であることなどを確認する
質問が出された。日系社会と一切関わりを持たずに生きたフジタを日系人史にどのような形で
加えるかは、日系人史を問い直すことにもつながり興味深い発表であった。
3.深豊幸「カリフォルニア・ステイト・グレーンジ(California State Grange):同州の農業
者団体による日本人移民排斥運動への関与の過程に関する考察」
本発表は、カリフォルニア州グレーンジ(以下 CSG)と呼ばれる白人の農業者団体が、いかに
日本人移民排斥に関与していったのかを、当団体の年次大会記録を始めとする今まで用いられ
なかった史料を精査して再検討するものであった。CSG は、American Legion や、Native Sons of
the Golden West と共にカリフォルニア州の排日運動を主導していた団体として先行研究でし
ばしば紹介されてきたが、深会員の調査の結果、それらの団体とは異なり、組織一丸となって
積極的に排日運動に関与したわけではないことが明らかになった。深氏は、CSG が排日への支
持を表明する一方で運動のための資金集めなどの実際的な行動を取らなかった事実を述べ、CSG
が排日運動にむしろ消極的であった一因として日本人移民が問題となっていたころ CSG の会員
数・支部数が低迷しており、組織としてうまく機能していなかったことを挙げた。発表後の質
11
疑応答では、CSG の内部には、どのような派閥があり、力関係が働いていたのか、つまり、内
部で排日に反対していた勢力があったのか、排日支持を表明したときに組織として統一見解を
出せていたのかについて問われた。また、西海岸の白人農業者団体のなかには、日本人移民排
斥に反対していた組織もあったが、それらの会員が CSG 会員といかに異なるバックグラウンド
を持っていたのか、またそれらの団体と CSG がどのような関係にあったのかについても質問が
あった。
4.中村茂生「ブラジル日本移民の開祖:水野龍像の再検討—伝記の整理と評価の更新—」
本発表は、戦前のブラジル日本移民送出に貢献した水野龍の役割と功績の再評価を促す試み
であった。ブラジル日本移民史における一般的な水野像とその形成要因、問題点を検討し、そ
の上で伝記的事実の検証、さらに新聞や外交文書などこれまで用いられなかった史料を活用し、
新しい水野像を提示した。中村会員は、ブラジルに渡る前の水野の日本での活動に注目し、尊
王主義者であり、自由民権運動に深く関わったこと、そして官界、実業界、政界への進出を断
念した後に皇国繁栄のために移民事業を行ったことを説明した。フロアからは、中村氏が水野
をブラジル日本移民の「開祖」と位置づける根拠について、また「ブラジル移民の父」として
一般的に認識されている上塚周平と水野との繋がりについて質問があがった。そして当時のブ
ラジル日系社会での水野に対する認識や、本門佛立宗の熱心な信者であった彼の当地での宗教
活動などについても質疑応答が続いた。
B会場 司会:
司会 :白水繁彦(
白水繁彦(武蔵大学)
武蔵大学)、石川真作
、 石川真作(
石川真作(京都文教大学)
京都文教大学)
1.陶山宣明「戦後期カナダの移民難民政策決定過程」
第 2 次世界大戦以降のカナダの移民政策の変遷が、豊富な資料に基づいて紹介された。歴史
的にカナダの移民政策は 1960 年代の白人優先政策放棄と以降の国際協調主義、7~80 年代の
難民対策などいくつかの時期区分が可能である。政策決定の過程には、その時期ごとの国内外
の環境変化が反映し、国家レベルおよび社会レベルからの異なったアクターの関わりによって、
政策決定のパターンが形成されてきた。そのパターンは概ね官僚主導の国家利益追求型から、
様々なアクター間の対話による多元的な意思と利益の実現を目指すものへと変化していき、そ
の結果、移民自身など当事者を含む諸利益団体や州政府などの思惑や国際的な環境に対応した、
非国家的利益を含んだ移民政策へ移行してきたことが指摘された。
質疑応答では、1978 年移民法とその後の難民危機への対処についての詳細な説明が求められた。
また、戦後の政策立案に対するナチスによるユダヤ人迫害と人権憲章の影響に関して指摘があ
ったがその影響は限定的であるとの応答がなされた。また、政権担当政党による政策の違いの
有無に関する質問に対しては、カナダの移民国としての位置づけの一貫性が指摘された。
来場者数 23 人(文責:石川)
2.新海英史「在オランダ移民の社会適応の実相―移民が語る「市民化講習」への期待と不安」
オランダで移民の社会的統合を目的として 1998 年から導入された「市民化講習」について、
講習を受ける移民の側から見た評価はいかなるものであるのか、現地調査に基づいた報告がな
された。主として移民が市民化講習にどのような意義を見出し、自らの将来設計にどう組み込
んでいるかに焦点が当てられたが、教育程度に応じた 6 段階の能力評価とその結果がリンクす
ることが指摘された。教育歴の高い移民には個人として状況を打開していこうとする志向が見
出されるが、その場合この講習だけでは不十分と考えられ、終了後に継続して社会教育を受け
る必要性が指摘されている一方で、教育歴の低い移民にとっては一定の期待を持って捉えられ
ているものの、現実には様々な障害が感じられていることが示された。
質疑では、社会的統合が主目的であるにもかかわらず文化や価値観にまで言及することの意味
12
や、そのこととムスリム移民の多さとの関係に関する質問が相次いだが、そのような構成にな
ったのは政治的妥協の意味があることと、講習の時間配分から見てシンボリックな意味合いが
強いことが示唆された。
来場者数 27 人(文責:石川)
3.柴田寛之「日系ブラジル人に対する地方自治体政策の歴史的展開:群馬県大泉町と静岡県浜
松市を事例として」
本報告の目的は地方自治体による日系ブラジル人に対する政策の歴史的展開を明らかにし「共
生」政策の内実を探ることにある。事例研究のフィールドは表題に見る如く、日系ブラジル人
の集住地である大泉町と浜松市である。両地域の行政の取り組みの姿勢、施策の変遷、とりわ
け「共生」の内実などが分かりやすいレジュメを用いて極めて論理的に報告された。タテマエ
や「希望」のレベルでは「近いうちに帰国する」と言いながら、「実際」には滞日が延びる在日
ブラジル人の将来設計の曖昧さが、本人たち自身の適応のストラテジーを不安定なものにする。
さらに、それに影響を受ける部分もあって腰の定まらない行政の対応。そして子どもたちその
しわ寄せが及ぶ実態・・・発表者は終始客観的に語ろうと努められたが、実際、辛い現実であ
ることが感じ取れた。
フロアーから、国の出入国管理と自治体政策との関連についても聞きたいという指摘や教育現
場では政策の策定側(自治体など)の意図と生徒の勉学態度との乖離がみられるという指摘、
首長の交代による政策の転換についての質問などが寄せられ、活発な議論が展開された。
来場者数 40 人(文責:白水)
4.金城宏幸「沖縄社会の越境的ネットワーク化とダイナミズム-第 4 回世界のウチナーンチ
ュ大会参加アンケート調査を中心に-」
越境的ネットワークの沖縄的モデルの構築を目指す本研究は、昨年 10 月に開催された第4回
大会における参加者へのアンケート結果を用いながら仮説を提出した。報告者によれば、1889
年ハワイへの移民に始まる沖縄系移民の適応ストラテジーは 1940 年代までの「同化」をもっぱ
らとする段階から、70 年代までの「異化」への目覚め、そして 80 年代以降の世界ウチナーン
チュのネットワーク化の動きへと展開してきたという。そのネットワーク化の動きを推進して
きたのが 5 年に一度の出会いを演出する沖縄県当局とメディア。そしてハワイを中心とする海
外ウチナーンチュのリーダーシップである。こうした歴史分析、現状分析を経て、報告者は世
界のウチナーンチュのネットワークの特徴を次の 3 点で表現する。①文化の本家(ムートゥヤ
ー)としての沖縄島があり、②母県沖縄とハワイというふたつのハブを持つ、③しかし沖縄島
の沖縄社会が抜け落ちている、というものである。きわめて魅力的な仮説の提出である。フロ
アーから、ウチナーンチュというコンセプトと離島出身者はどうかかわるかなど、たくさんの
質問が寄せられたが多くを割愛せざるを得ず、まったく時間が足りなかった。文化のムトゥヤ
ーとしての沖縄島の沖縄社会と海外沖縄系社会の「落差」もしくは「同床異夢」の分析が待た
れるところである。
来場者数
50 人
(文責:白水)
C 会場 司会:
司会:山本かほり
山本かほり(
かほり(愛知県立大学)
愛知県立大学)、東元春夫(
東元春夫(京都女子大学)
京都女子大学)
来場者数 約30人
1.小嶋 茂「日系人とは何か―‘日系人’の総体を表す表現の変遷-」
日系[人]という言葉の曖昧性を論じるため、過去にはどのようにこの言葉が使用されてき
たかの確認作業途中経過を報告した。具体的には、日本・ブラジル・アメリカ三国で発行され
た年鑑や記念誌等に見られる日系[人]の諸表現に着目し、日系の意味をどのように捉えてい
るかを調査した。その結果、現時点までの調査に従えば、日系という言葉は、例えばアメリカ
において 1920 年代に日系市民という言葉で使用されるようになるが、日系人という言葉は戦後
13
にならないと現れない。また、日系人には移住者である一世を含めるのか、あるいは在留邦人
と呼ばれる人たちの中に日系人が含まれるのかといったことがあいまいになってくるのが、お
よそ 1960 年代だと推測される。同年代以降、日系に相当する英語訳もまちまちとなり、意味内
容も広がりを見せる。
質疑応答では米伯の違いや社会カテゴリーとアイデンティティに関する議論がなされた。
2.根川 幸男「ブラジルにおけるエスニック日系新伝統行事の創出-仙台七夕まつりの再創
と拡散を中心として-」
本報告では、サンパウロ七夕祭りをエスニック日系新伝統行事の一事例として分析し、その
創出のプロセスと要因、メカニズムを論じた。特に、この七夕祭りなどサンパウロ東洋街の新
伝統行事の創出が同エリアの形成と補完関係にあることを明らかにするとともに、時間的・空
間的なダイナミズムの中で変容し再編成されるこの行事の再創性や拡散性についても考察した。
また、本報告では「新伝統行事」を「ゲストであるエスニックグループの母集団の『伝統』
に準拠、あるいはその一部を取り入れながら新たに再編・創出され、ホスト社会側にも認知さ
れた行事」とした。質疑応答では、それに対する「旧伝統行事」の有無や、アジア系をはじめ
とする他(多)文化の中での位置づけ、等が話題となった。
以上(文責:山本かほり、東元春夫)
3.小林孝広「在日フィリピン女性起業の社会・文化的な条件に関する一考察-日本人夫の役
割に着目して-」
本報告は、在日フィリピン・ビジネスの中で果している日本人夫の役割を検討している。とく
にフィリピン国内と日本の食料雑貨店サリサリストアに連続する、信用貸し(utang)の問題に
着目した。日本人の夫は、実際の経営にあたって表に出ることなくフィリピン妻と共にフィリ
ピン人顧客とのエスニックな紐帯を演出するが、一方でそれがはらむ信用貸し(utang)ジレン
マでは妻の信用貸し断りの「言い訳」として利用されていた。また日本人夫は、クレジットカ
ードの新規導入や、インターネットを駆使した日本人顧客獲得など、サリサリストアを日本社
会に接木するべく「文化仲介者」としての積極的役回りも演じている。ビジネスにおけるエス
ニックな紐帯の操作や、2005 年の入管法改正により激変する環境で創造性を発揮するビジネ
ス・パートナーとして、日本人夫の役割は、在日フィリピン女性の起業において見逃せない条
件になっている、というものであった。本発表に対しては、エスニックな資源と「場所」の関
係性、クレジットカード導入の経緯とフィリピン人顧客からの反感、また表題の社会的・文化
的条件はいったい何を意味しているかなどについて質疑がなされた。本報告では、比較的成功
している日比カップルによるエスニック・ビジネスの一事例を取り上げたが、起業にあたって
の夫婦間ポリティクスや他エスニックによるビジネスとの比較検討が今後の課題となる。
尚、本報告に当たっては、分科会開始の集合時刻に間に合わず司会の両先生方には多大なご
迷惑をおかけしました。本文は報告者が作成いたしました。この場を借りてお詫びいたします。
4.東聖子「滞日スィク教徒にみる<装い>の変容」
本発表は東京近郊に住むスィク教徒男性の<装い>の変容を考察することで、彼らの日本にお
ける社会生活を明らかにしようとする試みであった。彼らの<装い>のなかで、とくに髭、髪、
ターバンに注目し、<装い>は、①装う本人の社会的背景を反映していること、②信仰実践や
アイデンティティに連動すること、③アパデュライの言う「ローカリティ」と相互に規定しあ
う関係にあることを述べた。
これに対して、神戸や大阪に住むスィク教徒との関係についての質問があり、両者(神戸・大
阪と東京近郊)のあいだにほとんど交流はないが、神戸の寺院は東京に比べ古く大きいことから、
14
東京近郊の人々より羨望されていること、神戸・大阪の人々は自身の寺院やコミュニティが安
定的であるのに対して、東京のそれらは新しく不安定であると認識していることを説明した。
また、イギリスやカナダ、アメリカなどスィク教徒の多い地域と日本の違いについて質問があ
り、寺院運営方法などが異なり、同じ日本でも神戸と東京での違いがみられると答えた。その
ほか、スィク教徒の食事規制について質問があり、とくに教義として菜食主義が掲げられては
おらず、菜食主義者・非菜食主義者ともにいると述べた。
尚、本発表においては、発表者が本来集まるべき時刻に行かず、司会の両先生に多大なご迷
惑をおかけしました。この場を借りて、心よりお詫び申し上げます。そのため、本報告要旨は
発表者本人の文責で記載いたしました。
●
ラウンドテーブル
「移民研究の最前線:移民研究の軌跡と展望-学際的研究分野としての可能性-」
司会:椿真智子(東京学芸大)
報告者:森本豊富(早稲田大)
ディスカッサント:菅美弥(東京学芸大)
参加者:約 40 人
森本豊富(早稲田大)「移民研究の軌跡と展望-学際的な研究分野としての可能性-」
日本における移民研究の成果・展望に関する分析と今後の課題に関する報告であり、多様な
学問領域にわたる移民研究の動向をわかりやすく提示され、移民研究のあり方を考えるうえで
非常に示唆に富む内容であった。具体的には、日本の移民研究に関する専門誌ともいえる『移
住研究』創刊号から終刊号(1967~1996)と『移民研究年報』創刊号から最新号(1995~2006)
の掲載論文、日本移民学会年次大会の発表について、研究対象地域・者、分野、内容、研究方
法等の傾向や特徴が示された。たとえば研究対象地域は北・南米・ハワイに集中し、専門分野
では歴史学と社会学で約8割を占め、日本人移民や日系人に関する研究が大会発表の約7割、
年報で約5割と多い点等が指摘された。最後に、隣接領域間の連携や海外研究者との相互交流
など、学際的研究の可能性・必要性に言及された。
移民の存在自体がグローバル化・多様化しつつある一方で、研究領域や対象の細分化が否め
ない今、個別研究の全体的位置付けを再認識し、本学会自体の方向性を探るためにも大いに参
考となる報告内容であった。
菅美弥(東京学芸大)「トランスナショナル・ヒストリーと「トランスナショナル」な移民研究
の可能性」
森本報告を受け、近年の国際的な移民研究、とりわけ「トランスナショナル」な視座からの
研究動向について具体例をあげつつ整理し、さらなる「トランスナショナル」な研究の可能性
について提言が行われた。言及された課題の一つは「方法論的ナショナリズム」からの解放で
あり、細分化された対象・方法論からの「トランスナショナル」な解放である。もう一つは、
トランスナショナル・ヒストリーの検討/再検討に必要な「方法論的ナショナリズム」からの解
放である。統計一次資料や複数言語にわたる史料吟味の必要性など、調査方法・史料に関して
も「トランスナショナル」な視点が一層重要であることが述べられた。
菅氏が示された日系人・日本人移民の越境性と還流を「トランスナショナル」な視野で考察
する試みや、環太平洋やアジア太平洋ネットワークを検証する国際共同研究の必要性は、森本
氏が指摘した学際的視点と枠組みの重要性と連動するものであり、多くの参加者の研究意欲を
かきたてる提言であった。
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質疑応答
森本氏の報告と菅氏のコメントをうけ、参加者を交えた質疑応答が行われた。移民研究にお
ける理論モデルに対する関心についての質問や方法論構築の必要性、各専門分野における成果
の特徴、移民研究自体がもつ独自性などについて意見がだされた。
参加者が予想以上に多く熱気あふれる中、質疑応答の時間が十分とれず時間設定にやや無理
があったようにも思われる。しかし、大変意欲的な報告・コメントを受けて、各参加者が、個々
の研究のみならず、移民研究全体の可能性についての真剣な議論を期待していることがひしひ
しと伝わるラウンドテーブルであった。さらなる移民研究のフロンティアを求め、今後もこう
したテーマや議論が継承され、知が共有されていくことを切に望みたい。
(文責 椿 真智子)
●
大会シンポジウム
「労働力としての移民女性と日本社会」
第一報告
第二報告
第三報告
武田丈(関西学院大学)
「フィリピン女性エンターテナーのライフヒストリー」
イシカワ・エウニセ・アケミ(静岡文化芸術大学)
「在日日系ブラジル人女性」
柳蓮淑(お茶の水女子大学博士課程後期)
「定住化する移住女性と地域社会―山形県在住の韓国人妻の事例
を中心に―」
司会 アンジェロ・イシ(武蔵大学)
コメンテーター 田中宏(龍谷大学)、村井忠政(元名古屋市立大学)
今年度のシンポジウムでは、日本社会においてニューカマーとしての存在感を増しながらも、
その生活や受け入れの状況が今一つ見えてこない「移民」女性を取り上げた。報告はいずれも
フィールドワークに基づく実態調査報告で、三様の移民女性と彼女たちを取り巻く状況が鮮や
かに浮かび上がった。
第一報告ではフィリピンの貧困を背景とした移民送出政策の歴史と日本への出稼ぎ女性の抱
える問題、日本の興行ビザによるエンターテナーの受け入れと 2005 年の入管法改正の影響、
そして帰国後のフィリピンにおける支援活動などの諸問題が概観された。その中で、不法なリ
クルート、契約書と異なる労働条件や性的暴力といった構造的な問題から、ホームシック、家
族からの期待や重圧、日本人男性と結婚した場合の複合的な差別・性的虐待、帰国後の日本人
男性や子供との関係等の心理的問題、等々、送出側・受入側双方における問題が具体的に提示
された。
第二報告では 2005 年現在で 30 万人以上に上ると言われる日系ブラジル人の内、約半数を占
める女性に焦点をあて、その生活の一端が明らかにされた。即ち、一般に日本で被抑圧者とさ
れている他の外国人女性と比較して、ブラジル人女性には日本における生活を積極的に捉える
傾向があり、新たにビジネスを起こすなど、経済的・精神的な自立を図る傾向があることが指
摘された。日本では女性の仕事の選択肢が多く、男性より低いとはいえ安定した収入が得られ
ること、経済的貢献が増大したことから家庭内での地位が上昇したことなどが肯定的に捉えら
れ、結果として滞在が長期化し、離婚の件数も増えていることなどが実例を交えて紹介された。
ブラジルの日系社会における伝統的な結婚や家庭の概念とは逆に自立した独身(離婚)女性の
イメージも好意的に見られるようになってきたとの指摘もあった。
第三報告では山形県の農村部に嫁いだ韓国人妻に関し、日本への移住を決断させた社会的な
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背景と日本定住に向けての女性の側の戦略と行政側の政策の実相が明らかにされた。ここでも
第二報告と同様に外国人妻の日本社会への定住に向けての主体性が強調された点、即ち、「比較
的年齢が高く、高学歴で、本国ではキャリアをもっており、と出身者が多い」という特徴をも
つ韓国人妻が、日本生活の長期化に伴い、日本社会への一方的な同化ではなく、「<バイカルチ
ャリティ>の創出に伴う交渉」を通じた戦略と経済的アイデンティティの創出により「主体的
生活者」として地域に定住しようとしている事実や、更に長期滞在者が他の外国人妻を支援す
るネットワーク活動にまでその活動を拡げている実情が紹介された。
コメンテーターの村井氏からは、ネガティブなイメージで捉えられることの多い、日本の外
国人女性について通常とは異なる視点が提示された点に対する評価が、田中氏からは各報告に
対し、まずはそれぞれの問題の全体像、即ち、何故、日本がフィリピン女性を興行ビザで受け
入れることになったのか、何故ブラジルの日系人だけが動員されたのか、日本(政府)のどこ
が動いたのかといった構造的な部分、を描き出し、各報告の位置づけを行うことの必要性が指
摘された。この点については報告時間の短さと、実態調査による知見を中心とする報告をお願
いした企画者の責任が大きいものと考えており、日本社会における移民女性の実相を具体的に
可視化するという、本シンポジウムの目的はある程度達成できたのではないかと考えている。
(文責:村川庸子)
●
開催校主催 シンポジウム
1930年代における来日就学生の体験――北米・ハワイおよび東アジア出身者を事例に
満州事変(1931)を契機に日本は、以後、15 年にもおよぶ戦争の時代に突入する。そうした
混沌とした状況にあって、北米・ハワイや東アジアからの就学生が、1)どういう経緯・背景
のもと、どういう目的をもって日本に来たのか、2)日本で何を学び・経験したのか、3)彼ら
を取り巻く周囲の人たち――来日前の出身国社会(ないしはそこの人たち)あるいは来日後の
日本社会(ないしはそこの人たち)――の反応・関係はどうであったのか、4)日本で得たこ
と・経験したことがその後、プラスであれマイナスであれ、どのように活かされたのか、等々
を考えること、これが、このシンポジウムの目的である。
こうした来日就学生を次の 3 つのレベルのいずれかに重点を置いて捉えることが出来よう。
第 1 はマクロレベルであり、これは、就学生を国家レベルで考えるものである。双方の国家が
諸々の政策を遂行していく上で、就学生をどのように位置づけていたのかに注目するものであ
る。第 2 はメゾレベルで考えるものであり、ある地域社会レベルや組織・機関(たとえば学校
など)レベルで来日就学生を考えるものである。地域や組織と就学生との関わりが分析の対象
となろう。第 3 はミクロレベルである。これは、就学生を個人レベルで、つまり、個人のライ
フヒストリーを中心に捉えるものである。もっともこれら3レベルは分析の過程で相互に絡ん
でくることは言うまでもない。以下、各報告者、コメンテーターの力点を要約しておこう。上
の4視点が、そして3レベルが相互に関連していることが読み取れよう。
1.守屋友江(阪南大学)「日系二世仏教徒の日本留学―「仏教の本場」としての日本」
日系アメリカ人史において、仏教徒は親日的で米化が遅いグループとされている。日系二世の
仏教徒にとって、日本留学は仏教を学び、ひいては僧侶(開教使)の資格取得にも関わること
である。二世開教使は全て「帰米」であり、日本での体験は積極的な意味を持つ。しかし戦時
下のアメリカにおいては日本体験そのものが否定的な意味をもたらし、FBI による逮捕の根拠
とされた。強制収容を経ながらも、戦後は二世開教使の中から教団のリーダーとして活躍する
者も現れ、日本とは別のアメリカ型仏教を模索するケースも見られた。
以下、寄せられた質問との関連で若干述べておこう。「太平洋戦争が二世のアイデンティティ
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に与えた影響」に関しては、個別の事例が多岐にわたるので、これを類型化することは、今は、
控えておきたい。また、「二世養成のための財団設立が排日移民法成立直後であったこと」につ
いては、「白人」の教化に言及していることを勘案すると、対米啓発も念頭におかれていたと考
える。「開教使資格のための日本留学」は、教団をあげてのプロジェクトだが、日本政府や外務
省とのつながりはなかったと思われる。「日本における天皇崇拝がアメリカでも布教されてい
たか」については、そういう一面はあるものの、日本とは異なる文脈で語られる側面もあり、
複雑な問題を含んでいる。最後に、戦前に日本で学んだ二世開教使候補生数は、概算、約 20
名程度であった。
2.中原ゆかり(愛媛大学)「ハワイの帰米2世の日本留学経験と音楽」
1930 年代の日本は、昭和初期の歌謡曲の黄金期ともよぶべき時代であった。来日した留学生
たちが聴いたのは、歌謡曲や学校教育による唱歌であろう。いっぽう第二次世界大戦後の
1946-1950 年までは、ハワイ日系社会に二世によるアマチュア楽団が 40 あまりも結成され、
日系社会のイベントやパーティで日本の歌謡曲が演奏された。なかでも「ハワイ松竹」「新興楽
団」「日本楽団」「クラブ二世」の4つの楽団は、特に規模が大きく、ステージショーやレコー
ド制作を行ったが、このうち、
「クラブ二世」をのぞく3つの楽団の指導者は帰米二世であった。
日本語が堪能で日本のポピュラー音楽を多く知る帰米二世たちは、ハワイの日系社会において、
少なくとも日本の歌に関する世界では期待され、活躍できる人材であったと考える。
3.河原典史(立命館大学)「朝鮮籍学生の就学と就業-立命館大学の場合-」
日韓併合直後の 1912 年当時、朝鮮京畿道を中心とする都市部から京都市内の浄土宗また
はキリスト教関係の高等教育機関への就学が観察される。その後、1930 年代に入り非宗教
系の私立大学・立命館大学へは、毎年 10~20 名の留学生が就学した。彼らのうち法律を専
攻する者が最も多く、以下、政治・経済・文学の順に専攻生は続いた。彼らの多くは農村
部出身者で、法律を学んだのち帰国し、弁護士になることを希望していた。しかし、卒業
後の就業状況に関しては、彼らの多くは就業先が不明であるが、居住地から判断する限り
京都市内の繊維・染色関連業に従事したと思われる。なお、少数ながら、朝鮮に戻った人
たちは朝鮮総督府、東亜日報社、朝鮮平壌放送局などの行政・公共関係に、国内に残った
人たちは大阪特殊製鋼株式会社、日満亜麻紡績会社などの製造関係に就いた事例が確認で
きる。
4.成瀬千枝子(関西学院大学非常勤講師)
「ある台湾人女性の日本留学体験─中国大陸、朝鮮
半島出身の女子留学生との比較の視点から─」
日本留学は、植民地統治後期頃から出現したいわゆる「新女性」――纏足の旧慣から脱却し、
日本による新式教育を受けた、主として高等女学校卒業生たち――の新たな進路となり、1930
年代の後半以降、台湾から来日する女子留学生は急増した。彼女たちは概ね上流階級出身で、
日本でも裕福な生活を送った。一方、朝鮮半島、中国大陸からも 1930 年代後半以降、女子留
学生が増加する。ある台湾人女性の事例を通して、台湾出身女子留学生の日本観、日本留学に
対するとらえ方、留学目的、留学後の道が、同じ植民地出身者の朝鮮半島留学生とも、同じ漢
民族の中国大陸留学生とも異なっていたことを報告した。
コメンテーター:坂口満宏(京都女子大学)
本シンポジウムの研究史上の位置づけとして、日系アメリカ人を事例とした「越境」教育論と
朝鮮・台湾・中国を事例とした植民地留学生研究の諸成果をいかにして統合的に把握し、発展
させるかという課題意識のもとで本シンポジウムの報告が意図されていること、(2)それぞれ
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の報告が個別の事例を取り上げながらも「越境・回遊・ライフヒストリー」というキーワード
のもと、比較分析する意図をもつものであることを指摘した。
以上の報告・コメントに対し、フロアから多くの貴重な質問・意見をいただいた。そのすべて
をここで紹介することは紙幅の関係で無理なので、ポイントを2つに絞って述べておこう。そ
の1は、「共同研究」のありかたに関するものである。研究全体を底流する枠組み、取り組む姿
勢や視点、そして方法論に統一性がない、一貫性を欠く、というものである。これについては
その折りにも触れたことであるが、「共同研究」をどうとらえるかによる。多くの場合、共同研
究とは、合意を得たある一定の方法論のもと、厳密に練られた一定の枠組みを設定し、視点を
定め――ということになるであろう。われわれも最終的にはそれを目指しているが、今回の発
表は、そこに行き着く途上の探索型の共同発表であった、ということである。つまり、ある一
定の枠組みや視点について、研究者同士が合意を得るために経なければならない、fact-finding
型の研究、諸々の多様な事実や知見、またその背後にある状況を把握するための準備作業型の
発表であった、ということである。
第2は、東アジアや合衆国・ハワイとの地理的・社会的位置関係に関するものである。
これは、両地域を等しいウエイトで考えるのか、いずれかの地域により大きなウエイトをおい
ているのか、ひいては、何をするための比較なのかの問題である。これは、そのまま、どの社
会に焦点をあてた研究なのか、という大きな問題に行き着く。われわれの共同研究の出発点が
日系アメリカ人社会の研究にあることを考えると、答えは明らかなのだが、当日のわれわれの
発表ではこの点が曖昧なまま終始した。この点は、「留学生」、「就学生」という用語の使用法の
こととも関わり、今後、議論を深めて行きたいと思っている。
多くのことを学んだシンホジウムであった。参加者に感謝を申し上げる。
(文責 山本剛郎 関西学院大学)
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