会場 ホステル ふもとの家 静岡県富士宮市杉田251 0801(佐藤、 申込み・連絡 Eメール(奥 付参照)または電話0904 664 部分があるのですが、土台づ ますが、この総会に向けての くとも今年末までに開催され 年度は1月始まりですので遅 1.JR東海道線富士駅北 口からバス(曽比奈行き)で、 アクセス にします。) 交流会の終わるまでは、専用 くりは形を成したと言え 話し合いもできると期待して 新田橋下車。 主 な 内 容 富士宮交流会のお誘い…………… 1 アナキストブックフェア………… 2 文献センター自己紹介 ………… 3 富士宮だより……………………… 4 アナキズムとの出会い…………… 5 『ゲド戦記』のドタバタ ………… 6 運営委員会議事録 ……………… 8 ます。 います。 研病院前下車。※富士宮駅ま 吉原中央駅行き)で、富士脳 では、JRのほか、高速バス 時~ 日午後1時 も利用可。 日午後4時~ 3.JR身延線入山瀬駅か ら、徒歩約 ~ 分。 交流会 時~ 日午後1時 日午後2時~ えてください。 絡先の携帯電話にて予定を伝 センター作業 経過報告・承認決議 日午前 4. 当 日 は、 ク ル マ で の 送 迎 も 可 能 で す。 申 し 込 み・ 連 プログラム 日午後 あとは整理作業のペー スを維持して所蔵文献の データベースを完成させ て公開すること、従って その利用方法なども検討 する必要があります。そ して懸案となっている法 人化の課題も浮上してい ます。 また今年は総会開催の 年です。第2回富士宮集 会で承認された規約によ 日時 7月 2.JR身延線富士宮駅か らバス(曽比奈行き、または 第7号 皆さんの積極的な参加をお 願いします。 文献センター通信 7月 ~ 日の予定で、第 4回の富士宮交流会を開 催します。 センターの近況は、栃 木の黒磯から富士に移り 住んで2年余りの間、セ ンターの仕事と精力的に 取り組んでくれた山田氏 が予定通り、6月末で引 2008 年 6 月 30 日 一部 100 円 れば、3年に1回は総会 35 き上げます。 - 25 同氏の努力の甲斐あっ て、蔵書の整理と目録づ くり作業は大きく進展し ました。資料整理につい てはどうやら目鼻が就い 第 4 回富士宮交流会のお誘い を開くことになっています。 10 21 てきました。もっとも、 - 4 19 19 まだまだ未整理で手つかずの 20 19 20 21 20 第7号 Cira-japana (1) ブ で 第 4 回 ア ナ キ ス ト・ ブ ッ ク 2008年4月 日から 日の 3日間、クロアチアの首都ザグレ なプロジェクトの提供を追求して 版社、グループを迎え、さまざま た。毎年、より多くの参加者、出 として拡充していくことになっ アは継続的なイベント し か し、 ザ グ レ ブ の アナキスト・ブックフェ トであり、そして貴重な出会いの ルな意味においても重要なイベン ルにおいても、インターナショナ いるが、いずれもローカルなレベ る状況はそれぞれ大きく異なって うしたブックフェアの置かれてい づいて企画されたものである。こ フェアのポジティブな経験にもと フェアが開催される。このブック いる。 クロアチアのザグレブで アナキスト・ブックフェア フェアは2005年3月にザグレ ア ナ キ ス ト・ ブ ッ ク フ ェ ア は、 毎 春、 ザ グ レ ブ で の 開 催 を 予 定 し、アナキストやリバタリアン関 主催者より、このイベントへの 参加、サポート、そして連帯を呼 首都リュブリャナで第1回バルカ ので、2003年にスロベニアの 回イベント”として計画されたも ブックフェアは、もともとは“巡 られた。バルカン・アナキスト・ ナキスト・グループによって始め クフェアの一環として、地域のア サグレブのブックフェアは、当 初、バルカン・アナキスト・ブッ こうしたブックフェアという企 画はけっして新しいものではない る。 なディスカッションを予定してい 関するテーマについてのオープン 運動やローカル・コミュニティに の目的の一つであり、アナキスト 供することも、このブックフェア ものである。また、討論の場を提 てください。その他、自由に書き 問に回答する形で参加希望を伝え ています。すぐにEメールを! ださい。積極的な参加をお待ちし ブ ッ ク フ ェ ア の 運 営 に 参 加 し、 スムーズな進行をサポートしてく 参加要項: いる。 びかける! ン・ブックフェアが開催され、そ が、ザグレブのブックフェアも他 込んでください。 どんな形の参加を希望されるの か、お知らせください。下記の質 ask-zagreb@net.hr のあとザグレブ、その他の都市で のさまざまなアナキスト・ブック ル・リソースとしての役割を担う 係の書籍、パンフレットのローカ 場であることが実証されている。 ブ で は じ め て 開 催 さ れ た も の で、 13 以後、毎年この季節に開催されて 11 開催されることになっていた。 宿泊の希望がある場合は、詳細 を早めにお知らせください。 1 サグレブ以外の地域からの参 加の方 どのような形の参加を希望する プ レ ゼ ン テ ー シ ョ ン、 ワ ー ク のか? - 宿泊を含めたサポートが必要か 望は? ショップまたは討論会への参加希 - 2 ブースを必要とする方 どのくらいの大きさのブースが (無料宿泊場所は数の制限あり)? - ブースでのサポートが必要か? 必要か? - で き る か?( ブ ー ス を 使 用 す ブックフェアの費用をサポート - - (2) 文献センター通信 第7号 ↓ 第7号 Cira-japana 文献センター グループの解散もその延長に位置 て、第一の原因が絡んでいた。 って、後者と実務の進め方におい 発行している書籍 料) る 条 件 で は な い。 ブ ー ス は 無 するのかもしれない。 文献センターの構想についてグ ループ内で話されたことは、まず パ / ンフの概要 参加者の簡単な紹介を(連絡先、 問題点はどこにあったのか の構想の未確定な状況との断絶か と、この現実の進行と、センター ずに進められた。七月段階になる が、書庫建設の日程は結論をまた れ、提案があり、討論されていた ついては、さまざまの意見が出さ た。文献センターの内容と構想に グループ結成以来の問題にあっ ターを作っていくのかに関する うものにするか、どのようなセン の相違は、文献センターをどうい れていた。その主要な原因、意見 す で に 書 庫 の 建 設 に 前 後 し て、 数名のメンバーがグループから離 となった。 “ ば お ば ぶ ” グ ル ー プ は、 書 庫 を建設しながらも一年余りで解散 に関する議論にあったのではない 上げていくかという構想そのもの センターをどのようなものに作り も 言 い よ う が な い。 他 の 一 つ は、 いるから、この点については何と である。その傾向を私は自認して 進めていく私の流儀に対する批判 た。具体的には、事務的に作業を 仕事の進め方に対する違いがあっ その原因として思い当たるの は、次の二点ではないか。一つは、 状態となった。 と私たちの間に距離が出来て解散 SCIグループが抜け、東京自連 分けることができたようだ。まず 東京自連、そして私と山下康博に 始めたそれ以前の低迷さも指摘さ った関わり方によってやっと動き 否めない。しかし同時に、そうい の安直な結びつきがあったことは 個々人の意図とセンターの構想と こうした提案がなされたのであ るが、そこには参加したメンバー ●外国との交流の場とする。 ●各地に同様のセンターをつく り、連合する。 ●情報紙を出していく。 ●ミニコミを中心とし、グルー プ相互の交流を図る。 を押し拡げていくものであった。 れた個々人の意図はセンターの枠 グループ構成をいま振り返る 「単なる図書館は作りたくない」 と、ワークキャンプ(SCI)と、 という点にあった。そこで表明さ Dublinダブリン(アイルランド) (カナダ ) Edmonton Belfastベルファスト(イギリス、 北アイルランド) Bay areaベイエリア(アメリカ、 サンフランシスコ ) 自己紹介 6 ら、何人かがグループを離れてい か。 議 論 は ま た そ の 内 容 自 体 と、 れなければならない。 Saskatoonサスカトゥーン(カナ ダ) センターの構想は内容豊富とな り、 同 時 に あ い ま (次頁に続く) Victoriaビクトリア(カナダ) リ [ ストではなく、簡単な内容紹 介 )]。 った。私はそのようにみている。 話し合いの進め方という二面があ > Norwichノーリッジ(イギリス) Montrealモントルー(スイス) New Yorkニューヨーク(アメリ カ) Manchesterマ ン チ ェ ス タ ー( イ ギリス) その他の国、地域のブックフェア 参考資料 細 か い ニ ュ ア ン ス は 別 と し て、 http://www.ask-zagreb.org/engleski2008.htm からの抜粋 ↓ - < (3) (4) 摘み奥さんにキンピラにしてもら それではと作業を中止し、何か つまみでもと思い、近所で土筆を さんから花見のお誘いが。 った。そんなこともあってか、龍 満開の桜を観るお客さんはいなか 5日、土曜日だというのに今年も のよ」と奥さんが言うように4月 の時期はいつもお客さんが少ない 今年も「ふもとの家」の3本の 桜 は み ご と に 咲 揃 い ま し た。「 桜 富士宮だより この行き方に対し、つまりセン ターに結びつけた形で個々の意図 動いてくれはしない。 るを得ない。思うままに、現実は する過程で制約され、限定されざ 易に拡大された構想は現実に直面 いさの中で肥大した。しかし、安 ことを話したことから食卓に上る とだったが、昨年私が食べている 奇妙なので食べなかったというこ 知っていたらしい。ただ見た目が ャースクールで食べられることを る。数年前に奥さんは朝日カルチ 4月の半ば位から庭のあちこち にアミガサ茸が採れるようにな 出来た。 とても贅沢な時間を過ごすことが が現れる。ささやかではあったが、 桜から視線を移すと富士山の雄姿 て 4 人 で の さ さ や か な 花 見 の 宴。 3時間ほど、龍さんの知人を含め りの花びらが舞う中、夕方までの 向の転換が必要となった。いわば 関わり、関係、結合を図るよう方 た運動として改めてセンターとの いものは積極的に分離し、自立し し )、 セ ン タ ー の 活 動 に 含 み に く センターの機能を明確にし(限定 を実現させるのではなく、むしろ すぐ近くで鶯や雉、コジュケイな センターで作業をしていると まり、新茶の季節となる。 クになるとこの辺りでも茶摘が始 得してしまう。ゴールデンウィー 台所に広がり、まあいいか、と納 ほうじ茶のような香ばしい香りが 離せないが、揚げすぎてしまうと 茶の新芽はすぐに揚がるので目を これも一緒に天麩羅に揚げる。お こ の 時 期 お 茶 の 新 芽 が 伸 び 始 め、 の倍、天麩羅で美味しく頂いたが、 木も大きくなりその収穫量も去年 いないようだ。駐車場脇のタラの うになったが、これはまだ食べて れた木の枝には木耳もみられるよ 図書館」以上のものになり得ると きとの関連の中で初めて「単なる それはさまざまな外部、周辺の動 センターはまず図書館の機能を 持たなければならない。と同時に、 った、ある種の居直りである。 「図書館でいいではないか」とい お茶畑ばかりのこの辺りにまだ繁 居 た と は 聞 い た こ と が あ っ た が、 エルだった。以前はこの辺りにも ある。後で調べると、モリアオガ 長5~6㎝、緑色で背中に斑紋が とりあえず写真を撮ってみた。体 と見慣れない蛙が跳ねていたので 踏み潰してしまった。車まで行く 足の裏に嫌な感触が。今年も一匹 歩いているとグシャっという音と に出没、アパートに帰ろうと庭を が降ると、大きな蝸牛があちこち にまだまだ自然が残っている。雨 どの野鳥の鳴き声がきかれるよう していた。 実際には、段階的に仕事を限定し い っ た 見 方 に 立 つ も の で あ っ た。 るのだろうか。 殖できるようなところが何処にあ 続 (く つつ、積みあげていくことを意味 う。日差しも柔らかで暖かく、満 ようになった。入り口脇の立ち枯 ) 開の桜の木の下で散り始めたばか 文献センター通信 第7号 アナキズムとの出会い 語っていたが、私はまだはっきり 込み痛くて何度も途中で捨ててし 私が二十歳のとき。それから 会 議 に 参 加 し た の が 1 9 8 0 年、 も続いていた。当然中学生が飲み め、その関係は高校に入ってから だけ。すると一冊の本をさっきか らず、ぼんやりと本を眺めている みたが、何を読んでいいのか分か 西口にあった高野書店に行っては そんなこともあって何か関連し た本でも読んでみようかと池袋駅 ちょうどその日が会議で、場所も 開 編 集 会 議 の 日 程 が 載 っ て い た。 を手に取り、よく読んでみると公 ていなかったミニコミ『リベーロ』 ことはあったが、それほど気にし った時、それまでパラパラと見た 年、 まえと思いながら。 屋で集まれるわけもなく、最初は ら ず っ と 読 ん で い る 人 に 気 づ く。 水道橋のすぐ近く。どんな人たち (山田崇正) なんとなく今に至っている。 とした思いもなく話を聞いていた 友人の部屋だったが、次第に私の 暫 く そ の 人 の 様 子 を 見 て い る と、 がやっているのだろうという興味 今春、スイスのCIRAを訪問 しました。次号あたりでの報告 を依頼されてます(N) 神田の古本屋街を一日中見て 家でやることが増えていく。 読んでいた本を棚に戻し店を出て もありその場で電話を掛けて編集 スイスCIRA訪問! だけだった。 皆で集まって酒を飲み、音楽を 聴き、騒いでいるだけで楽しかっ 行ったので、直にその本を手に取 入り口。 回り、最後にウニタ書店に立ち寄 た。そんな友人と政治 的 [ な ]話 を時々するようになるが、まだそ り読み出すとこれが面白い。 図書室内、日本の文献(この一列のみ)。 28 CIRA の外観。 中学三年の終わり頃から同じク ラスの気の合う仲間と酒を飲み始 れ程意識的なものではなく、なん な ] だけだった 現代思潮社の大杉栄選集。さっ そくそこにあった無政府主義の哲 的 [ と思う。 部屋に帰ると一気に読んでしまっ となく反体制 大学に入ったばかりの頃、私の 部屋で(当時借りていたアパート た。それからというもの、アナキ ズムに関連する本を読み漁るよう 学Ⅰ・Ⅱ、日本脱出記などを買い 分程、山手通 りの手前にあった)高校の部活で になり、早稲田の古本屋街まで何 は池袋駅西口から 一緒だった友人と二人で飲んでい 梱包用の細い紐が重さで手に食い 集を両手で持ち、本を縛っている 度も歩いて通っていた。時には全 インター り、友人は「党派の中では 第 [四 が ] 一番理解できる」と るうちに何故か成田闘争の話にな 15 第7号 Cira-japana (5) ミ ッ ク & 映 画『 風 の 谷 ナ ウ シ カ 』 「 二 〇 〇 五 年 八 月、 ス タ ジ オ ジブリの鈴木敏夫氏が宮崎駿氏 の一部をここに紹介する。 いる。いささか長くなるが、そ のホームページで明らかにして ュラ・K・ル=グウィンが自ら 緯については、原作者のアーシ 本によって制作された。この経 彼の息子、宮崎吾朗の監督・脚 よ っ て 映 画 化 さ れ た の で は な く、 し か し、 こ の 作 品 は 宮 崎 駿 に ないわけにはいかない。 れるとなれば、その公開を期待し 評価している)によって映画化さ した。 たしもできる限りのお返事をしま 吾朗氏からも手紙が来ました。わ 心のこもった手紙が届き、さらに うことでした。駿氏からはとても にまったくタッチしていないとい もなくわかったのは、駿氏が製作 は猛スピードで進行しました。間 した。 中略 た理解のもと、契約は締結されま ように保証していました。こうし 象があり、また実際、先方もその を受けながら進められるという印 プロジェクトはつねに駿氏の承認 もに、不安を覚えました。ただし く、私たちは大いに失望するとと 「二〇〇三年頃、『となりのトト ロ』などの宮崎作品を気に入った る。 ドタバタが詳細に報告されてい る記事でも、スタジオジブリ内の ディアの映画『ゲド戦記』に関す ネットのフリー百科事典ウィキペ か事情が異なるようだ。インター 今回、この作品関しては、いささ こ と は で き な い。 し か し な が ら、 も、制作者サイドだけを非難する たく違った作品になったとして く、映画が原作者の意図とはまっ ブルは別にめずらしいものではな 原作者と映画化作品とのトラ アーシュラ・K・ル=グウィン の代表作であるファンタジー小説 を観て、そこに表現されているユ とともに、私と息子(アースシ ートピア的なイデアを理解 し た 者 で あ れ ば、 ア ー シ ュ ラ・ K・ ル = グ ウ ィ ン と 宮 > 映 画 製 作 か ら 引 退 す る つ も り で、 のときの説明によると、駿氏は をしにいらっしゃいました。そ ーの著作権の信託管理者)と話 後に聞いたところでは、駿氏は 結局引退はせず、今は別の映画を ことは残念に思います。 平洋の両岸で怒りと失望が生じた こ の 映 画 の 製 作 に 際 し て、 太 の要素を取り入れて作ってきたか の 自 分 の 作 品 で 既 に『 ゲ ド 戦 記 』 だ っ た が、 宮 崎 駿 は た。 監督は宮崎駿に これまで との要望 アニメ映画化許可のオファーが来 ル=グウィンからジブリへ正式に その後の映画製作 という。世界でもっとも人気のあ 宮崎家とスタジオでは、駿氏の息 撮っているとか。このことも私の ら、今更できない < 崎 駿 の 二 人 を『 ア ナ キ ズ ム 人名辞典』に収録すること に異議を唱えたりはしない だろう。 二年ほど前に宮崎駿のス タジオジブリの制作で映画 『 ゲ ド 戦 記 』 が 公 開 さ れ た。 るファンタジー小説の一つが、こ 子の吾朗氏にこの作品を作らせた 失望を大きくしました。早く忘れ ルの動く城を』製作中ということ コミック『風の谷ナウシカ』 れまた世界で最高の評価を受ける いとのことでした。吾朗氏はまだ てしまいたい出来事です」 を自ら映画化した宮崎駿は 映像作家(ル=グウィン自身も宮 一本の映画も製作したことがな 記』の映画化を望んでいた 二 十 年 以 上 前 か ら『 ゲ ド 戦 崎駿を黒澤明やフェリーと同等に 映画『ゲド戦記』のドタバタと 原作者のアナキズム 『 ゲ ド 戦 記 』 を 読 み、 宮 崎 駿 の コ (6) 文献センター通信 第7号 < > < > 、また『ハウ し か し、 何 と し て も ジ ブ リ で あった『ゲド戦記』の映画化を自 い」と批判した。二十年来の夢で 「気持ちで映画を作っちゃいけな のコンテクストを対比し、ル=グ ズ・カミングホーム』(一九八五年) ( 一 九 七 四 年 ) と『 オ ー ル ウ ェ イ 久保田一氏より 【寄贈書】 もあり、監督を断った。 映画化したかったプロデューサー 『 藤 枝 文 学 舎 ニ ュ ー ス 』 ~ 号(「小野庵保蔵私論」 ~ 掲載) った宮崎俊の無念は理解できない ル=グウィンに影響を与えたアナ り出そうとしている。本書の中で 『 両 大 戦 間 の イ タ リ ア 』 2 0 0 7 年 3 月(「 1 9 2 0 年 代 戸田三三冬氏より ウィンのこの間の思想の変遷を探 フではなく、全くのアニメ素人で こともない。この一連の騒動に対 キストして、老子、クロポトキン、 らの手で実現することのできなか ある息子の宮崎吾朗を監督に起用 しては、宮崎駿はつぎの自らの映 のエッリーコ・マラテスタ」) の鈴木敏夫は、他のアニメスタッ することを画策した。寝耳に水だ ポール・グッドマン、マレイ・ブ 。二〇〇八年 Lit Verlag 像作品の中で明確な答えを提出し 行元= った宮崎駿は、アニメーターとし < あいつに監 『 大 阪 社 会 運 動 顕 彰 塔・ 顕 彰 者 事 跡 録 』 2 0 0 7 年 月、( 財 ) 北村信隆氏より 監督に就くことに、 刊。 大阪社会運動協会 督ができるわけがないだろう。絵 グ ウ ィ ン の 作 品 を 分 析 し、 原 作 (M) だって描けるはずがないし、もっ 磯谷武郎氏より > と 言 っ て 猛 反 対 し た。 < > と三日 す。お手元に余分がありましたら、 センターに寄贈してください。 年6月号) 年3月号) なお雑誌形の同誌の最終号は 195号と推測しますが、確認情 年3月号) もっともアナキズム的な色彩の強 報も寄せてください。 10 イガリウェイ(横浜・2008年) 『 ア フ リ カ の ア ナ キ ズ ム ―― 未 来の展望』サム・ムバー&I・E・ 者のユートピア思想の源流を探 つなんだ そして宮崎駿は吾郎に何度も お 前、本当にやれるのか? で、 ミ ュ ン ヘ ン 大 学 に Seyferth 提出した博士論文として執筆され っ た 書 籍『 Utopie, Anarchismus 寄贈のお願い 』がドイ und Science Fiction 『 リ ベ リ テ ー ル 』 の 合 本 を 作 成 ツ で 刊 行 さ れ た。 著 者 は Peter 中ですが、次の3冊を欠いていま と言えば、何も分かっていないや さ て、 ア ー シ ュ ラ・ K・ ル = クチンなどが挙げられている。発 64 ていかなければならないだろう。 17 ての素養がない素人である吾朗が 20 61 スイスCIRA、1階 の図書室内。 にわたって何度も問いただし、そ れでも吾朗は監督をやるといい続 たものだ。 ②167号( ①135号( 著 者 は 一 九 六 二 年 か ら ③184号( けた。そしてその後は、息子と全 く口を聞かなくなってしまったと 二〇〇二年までに発表されたル= 映 画『 ゲ ド 戦 記 』 の 完 成 試 写 い 二 つ の 作 品『 所 有 せ ざ る 人 々』 いう」 の 際、 宮 崎 駿 は 途 中 で 席 を 立 ち、 グ ウ ィ ン の 作 品 を 紹 介 す る 中 で、 88 84 81 第7号 Cira-japana (7) 運営委員会議事録 (抄) からでよいのでは な い か、 と い う 意 ■法人化について 株式会社を 検 討 す る。 L L C と の メ リ ッ ト 【メモ】 大阪の社会運動資料センター の存続が危機にあるとの情報が、 ■ ア ナ キ ズ ム マ ッ プ 最 初 は、 京都の北村さんから寄せられた。 新 宿 編 に す る か( I R A、 模 索 『アナキズム運動人名事典』では デメリットを調査する。 随分お世話になったことを思い 見 に 対 し、 い や、 舎)。身内紹介みたいに終わって 出 す。 先 年 は 名 古 屋 の 鬼 頭 文 庫 所 有 権 の 明 確 化 の た め、 あ ま り 時間がないのではとの意見も しまうのではないかとの懸念も。 る。 日(土) あった。 ■年表について 年表部会 ) ( まずは、「自由意志」「連帯」 「黒 3月運営委員会 3月 ① 去 年 ま で の 活 動 報 告( + 会 計 の学校」「黒」あたりからスター ■ 7 月 の 集 会 に つ い て ~ 日 に 開 催 予 定 と し た。 議 題 は、 報告)②法人化について、 とする。 4月運営委員会 4月 日(土) ※ ( 詳しくは、本紙1面を参照 ) ■ 山 田 さ ん に つ い て 年 が た ■ 通 信 6 号 に つ い て 発 送 作 業 ち、 月 末 で 富 士 宮 を 引 き 払 う ト。 年 表 か ら 面 白 い こ と を ピ ッ を終了した。 引き続き行ってもらう。 載 し て い く の は ど う か。 ※ (来 クアップするとか通信に毎号連 月をメドに進行中。 3月5日に萩原晋太郎さんが亡 く な っ た。 半 年 余 り 入 退 院 を く り 返 し て い た が、 肺 炎 を こ じ ら 歳。 昨 年 月発 ■ イ ベ ン ト に つ い て レ ア も の ) D V D( マ フ ノ、 ド ゥ ル テ ィ、 行 の『 リ ベ ル テ ー ル 』 3 0 6 号 た。 山口英さんに相次ぐ訃報となっ せ て の 永 眠。 秋 山 清、 辺 見 庸 さ ん な ど ) の 上 が最終号になった。遠藤斌さん、 5月運営委員会 5月 日(土) 映会をできないか検討する。 合 わ せ て 手 帳 制 作 も 検 討、 見 積 号からを予定) イ ベ ン ト の 素 材 の リ ス ト( ド ゥ ■ 事 務 所 の シ ェ ア に つ い て 5 ル テ ィ D V D、 シ ネ マ フ ェ ス タ ■カレンダーについて 来年版 枚カレンダーにする。また、 【訃報】 の記録)を作成し保存もする。 もりをとる。 は ■ 全 国 ア ナ キ ズ ム マ ッ プ 通 信 1頁を使って全国の活動に有効 る力必要) 、もっと体力をつけて 算 時 処 理 な ど 大 丈 夫 か( 維 持 す ■ 法 人 化 に つ い て 法 人 化 し た 場 合、 出 費 や 業 務 量 の 増 加、 決 か、検討する。 ※ ( 今号はパス なお店などのマップができない 1 文献センター ホームページ→ アナキズム文献センター通信 第7号 発 行/二〇〇八年六月三〇日 発行所/アナキズム文献センター 編 集/運営委員会 連絡先/東京都新宿区新宿 の 三月工房気付 1の も 閉 鎖 さ れ た。 寂 し い 限 り で あ こ と と な っ た。 パ ン フ の 整 理 は 22 ■ イ ベ ン ト に つ い て 西 日 本 で イ ベ ン ト を 実 施 し た い。 年 の 21 82 11 郵便振替口座/ info@cira-japana.net 価/一部一〇〇円 定 00850―3―30010 口座名 A文献センター Eメール/ 12 26 2 31 30 6 19 07 (8) 文献センター通信 第7号
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