算木電卓の試作と教育利用 愛媛大教育学部 平田 浩一 hirata@ed.ehime-u.ac.jp 1. はじめに 和算時代の計算器としての「算木」は四則計算や平方根の計算のみならず、高次の代数方程式の 数値解を求めることもできる優れものである。その計算方法の学習は、コンピュータ時代の現在に あっても、授業の中で取り上げてみたい興味ある教材の一つである。ところが、いざ授業で取り上 げて見ようと準備を開始してみると、正と負の数を表す赤黒 2 色の算木を多数準備しなければなら ないことや算木を実際に手で操作する活動が思った以上に時間をとってしまうことなど問題点も 多く、なかなか授業実践にまで踏み込めない思いをしている先生が多いのも事実である。 この研究では、算木を手軽に授業に取り入れる方法について検討し、そのための一つの方法とし て、算木の仕組みをコンピュータ上で実現する「算木電卓」というソフトウェアを開発(試作)して みることにした。 2. 開発のねらい 筆者が算木を使った計算法を初めて知ったのはごく最近のことで、[1]の文献にふれたことがきっ かけである。算木の計算法については文献[2,3,4,5,6]などでも紹介されている。 算木を授業の中に取り入れようとするときに、考慮しなければならない点として次のようなこと があげられる。 ・ 学生一人一人に赤と黒の算木を多数用意しなければならない。(算木の大きさは 6mm 6mm 36mm。どれだけの計算をするかにも依るが、江戸時代の算術書によれば赤と黒そ れぞれ 180 本を用意するとある[4]。図 1 は算木での数字の表し方である。一つの数を表すの に最大 5 本の算木が使われる。赤と黒の算木の色でそれぞれ正と負の数を表すことになって いる。白黒印刷時に赤と黒の区別がつくように、黒算木には斜線をつけている。これは和算 の時代からの伝統的表記である。) 図 1: 算木での数字の表し方 ・ 足し算の計算をするには、小学校 1 年生がおはじきを操作するように、一本一本の算木を操 作して計算を行う。例えば 3+4 の計算では、縦に置かれた 3 本の算木と 4 本の算木を一つ にまとめて 7 本とし、この内の 5 本を取り出し、5 を表す横向きの算木 1 本に置き換えるこ 1 とで 7 となり計算が完了する。このような操作は小中学生にとっては興味あることかもしれ ないが、高次方程式を解くような生徒にとっては単調な作業の繰り返しとなってしまう。こ の単調さは計算ミスへとつながる要因ともなる。 ・ 算木での計算は算盤という紙の上で行う。算盤は紙に罫線を引き、位などを表す文字を書き 加えたものである。(図 2 は今回試作した算木電卓の画面である。外見的には算盤のイメージ になっている。) 実際の算盤のマスは算木で 1 9 までの数字を一つ入れられる程度のスペ ースしかなく、1 つのマスに二つの数字を並べようとすると少し窮屈である。1 つのマスに 同時に複数の数字を入れられると計算がしやすいこともあるので、このあたりにも工夫を要 する点がある。 図 2: 算木電卓の画面 ・ 文献[6]の中では、代数方程式を解く際に行うひとまとまりの計算単位に「乗加」や「連続乗 加」などの用語を用いることで、計算方法を分かりやすく解説している。また、現在どの段 階の計算を行っているかが一目で分かるように算盤にマーカーをつけることなど、授業の中 で算木を取り上げる際の工夫についても述べられている。こういった工夫もソフトの中に生 かしたい。 ・ 授業で算木を取り上げるときに事前に特別なインストール作業が必要だとしたら面倒である。 インストール作業の不要なソフトとして作成したい。 3. 算木電卓の機能 開発する算木電卓ソフトには以下のような機能を盛り込むことにした。 ・ Web ブラウザで動く Java アプレットとする。 ・ 算木の操作はマウスのみで行うものとする。 ・ 算木一本一本を操作するではなく、0 9 までの数を表すひとまとまりの算木を単位としてマ ウス操作できるようにする。 ・ ドラッグ操作はアプレットにとっては重いので、左右のクリックの組み合わせで算木の移動 ができるようにする。 2 ・ 算盤の横方向のサイズは、方程式の解を必要ならば数十桁の精度まで計算できるように、余 裕をとって約 100 桁のサイズを持たせることにする。ただし、一度に表示するのは 10 桁ま でとし、スクロール操作で他の桁も表示できるようにする。 ・ また、位の読み方も覚えられるように各位には、 「万、億、兆、京、垓、 」や「分、厘、毛、 絲、忽、 」等の文字を書き込むことにする。 ・ 算盤の縦方向は、5 次方程式までの計算ができるように、 「商、実、方、廉、隅、三乗、四乗」 の 7 段構成にする。 ・ 一つマスに複数の数を置くことができるようにする。 ・ 加減算はワンクリックで行えるようにし、その細部の計算は自動化する。 ・ 乗除算や方程式の計算の際の目印として、位マーカーを用意する。位マーカーの移動と連動 して、 「方」の段より下の算木が左右に「シフト」されるようにし、計算の便宜をはかる。 ・ 乗加や連続乗加の際の目印として、段マーカーを用意する。 ・ 30 手まで過去にさかのぼれるようにヒストリー機能を用意する。 ・ 画面イメージを白黒印刷するときでも赤と黒の算木の区別がつくように、黒の算木に斜線を 引く機能を用意する。 ・ 連続乗加、連続乗加の繰り返しなどの一連の動作を 1 クリックで行う機能を用意する。この 機能があれば代数方程式の解も短時間で計算することが可能となる。 以上のような機能を持つソフトとして算木電卓を試作した。算木電卓には以下のアドレスからア クセスできるようにしているので利用してみて頂きたい。利用方法の簡単な解説[7, 8]も同アドレ スからダウンロードできるようになっている。 ・ http://weyl.ed.ehime-u.ac.jp/~hirata/sangi2/ 図 3: 算木電卓での 4. 算木電卓での四則演算 ! 3 2 の計算 算木電卓を使った四則演算について簡単に解説する。 3 4.1 加減算 加減算は赤黒の算木の色の違いだけで計算方法は同様なので、ここでは、844−681 の引き算につ て説明する。 ①. 赤の算木で 844 を「商」の段に置く。 ②. 同様に黒の算木で 681 を「商」の段に置く(図 4)。 ③. 「商」のマスをクックすると自動的にその段の計算が行われる(図 5)。 図4 図5 4.2 乗算 乗算の例として、219 357 につて説明する。 ①. 位マーカーが「一」にあることを確認し、219 を「商」の段、357 を「方」の段に置く(図 6)。 図6 ②. 「百」のマスを右クリックし、位マーカーを移動する。自動的に「方」の段も左にシフ トする(図 7)。 ③. 2 357 を「実」の段に加え、 「実」のマスをクックする(図 8)。 図7 図8 ④. 「十」のマスを右クリックし、位マーカーを移動する(図 9)。 ⑤. 1 357 を「実」の段に加え、 「実」のマスをクックする(図 10)。 4 図9 図 10 ⑥. 「一」のマスを右クリックし、位マーカーを移動しシフトする(図 11)。 ⑦. 9 357 を「実」の段に加え、「実」のマスをクックする。これで計算が完了し、答えは 「実」の段の 78183(図 12)。 図 11 図 12 4.3 除算 除算の例としては、476 35 につて説明する。 ①. 乗算は 1 次方程式「35 x – 476 = 0」と考え、 「実」の段に 476 を黒い算木で置き、「方」 の段に 35 を赤い算木で置く(図 13)。 ②. 「十」のマスを右クリックし、位マーカーを移動する。自動的に「方」の段も左にシフ トする(図 14)。 図 13 図 14 ③. 「十」の位の商に 1 を立てる(図 15)。 ④. 1 35 を「実」の段に加え、「実」のマスをクリック(図 16)。 5 図 15 図 16 ⑤. 「一」のマスを右クリックし、位マーカーを移動しシフトする。 「一」の位の商に 3 を立 てる(図 17)。 ⑥. 3 35 を「実」の段に加え、 「実」のマスをクリック。ここまでの計算で、 「商が 13 で余 りが 21」であることが分かる(図 18)。 図 17 図 18 ⑦. 更に、小数点以下も計算する場合は、右向きの赤三角をクリックして、小数点以下の桁 を表示させる(図 19)。 ⑧. 「分」のマスを右クリックし、位マーカーを移動しシフトする(図 20)。 図 19 図 20 ⑨. 「分」の位の商に 6 を立てる(図 21)。 ⑩. 6 35 を「実」の段に加え、「実」のマスをクリック。その結果として、実の段が 0 とな るので、除算が完了。答えは「商」の段の 13.6 (図 22)。 6 図 21 図 22 ここでは四則演算について算木電卓の使用法を説明した。次節では 2 次以上の方程式の計算につ いて説明する。 5. 算木電卓での方程式の計算 ここでは算木電卓を使った方程式の解法について説明する。 5.1 方程式と算盤 例えば 5 次方程式 x 5 " 6x 4 + 2x 3 " 7x 2 + 3x " 8 = 0 を算盤で表すと次の図 23 のようになる。 ! 図 23 「実」の段が定数項で、 「方」の段が 1 次の係数、「廉、隅、三乗、…」の順に次数が上がり、5 次 の係数は「四乗」の段に入れる。 ここで、 「あれっ!」と不思議がる人もいるでしょう。4 次の係数が「三乗」で、5 次の係数が「四 乗」の段なのである。これは、我々が通常「x の 4 乗」というときは 4 個の x を掛けることを指し ているのに対して、和算での「四乗」はかけ算を 4 回行うこと x*x*x*x*x を意味していて、これは 現代の 5 乗に相当する。 標準サイズの算木電卓で 5 次方程式まで扱うことができる。ラージサイズの算木電卓もあり、こ れを使えば 8 次方程式まで扱うことができる。 7 5.2 乗加、連続乗加 方程式を解くには、「乗加」、 「連続乗加」、 「連続乗加の繰り返し」といった作業が必要になる。 最初は「乗加」で、商に立てた数を a とするとき、 「ある行を a 倍してその上の行に加える操作」 を乗加と呼ぶ(図 24)。 図 24 「連続乗加」は、 「一番下(最高次)の段から、上に向かって、マーカーで指定された段まで連続乗 加を繰り返す操作」をいう(図 25)。 図 25 最後の「連続乗加の繰り返し」は、「①「実」にマーカーをつけて連続乗加、②「方」にマーカ ーをつけて連続乗加、③「廉」にマーカーをつけて連続乗加、 り返す操作」をいう(図 26)。 図 26 8 と一番下の段まで連続乗加を繰 5.3 方程式を算木で解く それでは方程式を解いてみよう。平方根、立方根、2 次方程式、3 次以上の高次方程式もすべて 計算方法は同じで、例として 3 次方程式 x 3 + 124 x " 20800 = 0 をとりあげる。 ①. 算盤に方程式を置く(図 27)。 ②. 最初の商はどの位に立つかを予想し、そこに位マーカーを置きシフトさせます。ここでは ! 「十」の位にマーカーを置く(図 28)。 図 27 図 28 ③. 解の「十」の位の値を予想する。方程式にもよるが最初の値の予想は大変難しい。何回でも やり直しができるので、あまり考え込まずに、適当な値を入れて探りを入れ、試行錯誤を繰 り返すのがよい。図では 2 を商にたている(図 29)。 ④. 次に、 「連続乗加の繰り返し」を行う。資料[8]に計算方法の詳しい説明があるので、ここで は、連続乗加の繰り返しが終わったところの図だけを示す(図 30)。 図 29 図 30 ⑤. 「一」の位にマーカーをつけてシフトする(図 31)。 ⑥. 次に、解の「一」の位の値を予想する。計算が進んでくると、一次方程式(割り算)に近くな ってくるので、「方」段と「実」段から簡単に値が予想できるようになる。ここでは商に 6 をたてている(図 32)。 9 図 31 図 32 ⑦. この後再び「連続乗加の繰り返し」を行う。この方程式の場合は、実の段に向けて連続乗加 を行ったところで、下の図のように実の段が零になるので、この時点で計算は完了である(図 33)。 図 33 6. 算木電卓の便利コマンド 資料[8]を見れば分かるように、「連続乗加」や「連続乗加の繰り返し」は手数も多く大変な作業 である。それも、方程式の次数が高くなると途方もない作業になる。そこで算木電卓には次のよう な便利コマンドを用意している。 6.1 連続乗加コマンド 「連続乗加」を 1 クリックで行うコマンドで、「実、方、廉、隅、 」を Shift キーを押しなが らクリックすることで、連続乗加を自動的に行うことができる。 実際の場面では次のような使い方をする。図 34 のように、最初に商の値を予想し入力する。続 いて、 「実」を shift + クリックする。これで、実の段にマーカーをつけての連続乗加が一気に実行 できる。後は同様に、「方」を shift + クリック、「廉」を shift + クリック、 10 と続ける(図 34)。 図 34 6.2 連続乗加の繰り返しコマンド こちらは、 「連続乗加の繰り返し」を 1 クリックで行うコマンドである。このコマンドを使えば、 解の値の予想にだけ専念できる。図 35 の用に操作すると、自動的に図 36 になる。 図 35 図 36 6.3 黒算木に斜線を引く 資料を白黒印刷するときのために、黒い算木に斜線をつける機能がある。Shift キーを押しなが ら(算木の色を替えるときに使う)黒い丸をクリックするとこの機能が使える。もう一度同じ操作を 11 すると元に戻るようになっている。 7. 算木電卓を使用して 平成 18 年の夏に、高校生を対象にした講座を持つ機会が数回あり、その講座の中で「算木電卓」 を高校生に実際に使ってみてもらった。限られた時間(60 分 120 分)しかなかったため、3 次以上 の方程式の計算にまでは踏み込むことはできなかったが、四則演算の範囲であれば短時間で計算方 法を習得できていた。平方根の計算まで到達できたのは理系クラスの一部の生徒だけであったが、 それらの生徒からは「算木で平方根の計算ができたときはとても嬉しかった」などの感想を得るこ とができた。(平方根の計算ができることは、算木での計算法としては、2 次方程式全般の計算がで きることに等しい)。 3 次以上の方程式を使った授業実践は、愛媛大学教育学部の 2 回生の授業の中で実施した。90 分授業 3 コマを使い、1 回目が四則演算、2 回目が平方根・立方根・2 次と 3 次の方程式、3 回目 は便利コマンドを説明し 4 次と 5 次の方程式を取り扱った。演習に使った方程式は、学生が思い思 いの係数を選んでつけたものであったため、解が負になる場合や解が無い場合もあり、私も予想し なかったような様々な場面を体験することができた。 情報化時代の中にあっても、数式処理ソフトやプログラム言語の使用を除外すれはば、一般的な パソコンソフトの範囲内には高次方程式の解を求めるようなツールは用意されていない。そういっ た状況の中で、算木という日本伝統の数学の中で培われた計算方法の学習活動を通じて、高校生・ 大学生の中に高次方程式の数値計算法が受け継がれていくことになればと期待している。 参考文献 [1] 本上亮典「算木による各種の計算方法」 http://www3.ocn.ne.jp/~kokoten/wasanroom.htm [2] 佐藤健一編著「要説 数学史読本」東洋書店、1996 年 10 月 [3] 佐藤健一「新・和算入門」研成社、2000 年 8 月 [4] 西森敏之「算木」 『教育科学/数学教育』明治図書、2003 年 11 月号 [5] 西森敏之「算木の数学教育での利用」『教育科学/数学教育』明治図書、2004 年 11 月号 [6] 西森敏之「算木で 3 次方程式を解く」 『数学通信』日本数学会、2006 年 5 月号 http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj6/sugakutu/1101/nishimori.pdf [7] 平田浩一「江戸時代の計算機算木を使ってみよう!」、 http://weyl.ed.ehime-u.ac.jp/~hirata/sangi2/ [8] 平田浩一「方程式を算木で解いてみよう!」、 http://weyl.ed.ehime-u.ac.jp/~hirata/sangi2/ 12
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