No. 謹賀新年 499 長 野 中 央 病 院 南 長 池 診 療 所 稲 里 生 協 クリニック 老人保健施設ふるさと 徳間デイサービスたんぽぽ 三本柳デイサービスミント 戸倉デイサービスゆいっこ グループホーム栗田ゆうゆう 1 2015. . JAN 発 行 長野医療生活協同組合 〒380-0814 長野市西鶴賀町1570 TEL(026)234-1476 FAX(026)234-1493 E-mail:chiiki@healthcoop-nagano.or.jp ホームページ:http://www.healthcoop‐nagano.or.jp ●現勢(2014年12月11日現在)生協組合員…6万2289人 出資金…15億4691万円 長野中央介護センターつるが 在宅総合ステーションながの (ケアマネジャー・訪問介護) 訪問看護ステーションながの つるがリハビリセンター ショートステイつるが 高齢者住宅つるがの風 長野からはじめよう! 核兵器のない世界 語り続けた お母さん (長野県原爆被害者の会会長・茅野市在住) にお話をききました。 6 年生 1 予想もしない光景でした。 8 その時高等女学校 かせました。 ある時、 お母 しまうなら 史樹を抱いて 化石になりたい (『ヒロシマ母の記』名越操著より) 2 6 き だった姉の敏子は学徒動 間 爆 風 で 吹 き 飛 ば さ れ、 さんに 「なぜつらい思い 22 8 じような目に遭わせとう 2 せん。 放射能による長期に 史樹が逝って わたる後遺障害が被爆者 しまうなら を苦しめ続けているのです。 史樹が逝って 家族の悲痛な祈りも届 かず史樹ちゃんは 年半 被爆二世史樹 ちゃんのこと 1968年 月 日、 広島で一人の男の子が亡 の 壮 絶 な 闘 病 の 末、亡 く 4 な ご や ふみ き く な り ま し た。名 越 史 樹 なりました。 15 ち ゃ ん。 歳 で 白 血 病 を 6 7 操 さ ん は、史 樹 ち ゃ ん が亡くなった時の日記に こう記しました。 8 発 症 し、わ ず か 歳 で 生 涯を終えた被爆二世の死 な ご や 「 年前の 月 日、 目 もくらむ熱い何千度の原 爆 は 私 を 焼 い た。そ し て 私 の 皮 膚 を 突 き さ し、 年もたって生まれてきた 20 でした。 史樹ちゃんの母の名越 56 みさお 操さんは藤森俊希さんの 姉です。 歳で被爆し、 歳 で 亡 く な る ま で、心 身 ともに後遺症に苦しみま 15 ニューヨーク と し 藤森 俊希さん 員で爆心地近くの建物疎 気づいたときは土手の下 をして原爆のことをはな める」署名 た「核兵器廃絶を求 の広場に積みあげられ 被爆者として体験を語り続けている 開に行っていました」 。 敏 子さんの消息はいまもわ に 人とも転がっていま 2 かりません。 すの?」 と尋ねました。 お 母さんは 「あんたらを同 70 藤森さんのお母さんは 毎 年 月 日、子 ど も た ( 歳) は、 し た。し ば ら く し て 母 が 藤森俊希さん 歳の時広島で被爆しま わたしを抱いて土手の上 な い か ら じ ゃ」と 答 え ま した。 1 ちに被爆当時の広島のこ か ら 見 た の は、市 中 心 部 の 上 を 煙 と 雲 が 覆 い、一 した。 広島の原爆ドーム とを涙ながらに話して聞 面火の手が上がっている もしも わたしのこの腕から した。 「土手の上を歩いてい た 母 と わ た し は、そ の 瞬 1945 原 爆の惨 禍は、 年 月 日にとどまりま 2015年は、広島、長崎に原爆が投下されて70年目の年です。4月にはNP T(核兵器不拡散条約)再検討会議がニューヨークの国連本部で始まりま す。2010年の会議では全会一致で「核兵器のない世界の平和と安全を達成 する」ことを宣言。核兵器保有国は自国の核兵器を完全に廃絶し、すべての 国が核兵器のない世界を支える「枠組み」をつくるために「特別の努力を」 することも決まりました。今年の会議はその実現のためにも大変重要な会 議になります。 NPTとは 正式名称は「核兵器の不拡散に関する条約」 (Treaty on the NonProliferation of Nuclear Weapons) 。 1963年に国連で採択され、 1970年発効。米、露、英、仏、中の5ヶ国の核保有を認め、それ以外の 国へ核兵器が拡散するのを防止することを主な目的とした条約。 締約国は誠実に核軍縮交渉を行う義務を規定している。この条約 を見直す会議(NPT再検討会議) が5年ごとに開催される。 ま っ て い ま す が、 「世界では核兵 器廃絶の気運が高 日 し、会 見 を 責任者ファー レル准将が来 つも市民社会の運 し困難をかかえつ て い ま せ ん。し か 核兵器廃絶となっ 死 に、放 射 能 死ぬべき人は あ り 得 な い。 彼 は「 放 射 能の後遺症は 開きました。 動が世界情勢を大 で苦しんでい る者は皆無 ※ ※ ちが被爆しま それまでに 「核兵器全面 兵器廃絶の大 運動が起きま も 使 わ れ な か っ た の は、 間、核 兵 器 が 実 戦 で 一 度 に反響続々 ! 本紙連載の 「戦争体験」 話分が 冊の本になりました。 51 おかげさまで昨年 月の発刊以来、 1 未だ武力による戦 争 は 絶 え ず、一 路、 きく動かすであろ 月戦時災害保護法を打 藤森さんは、「私も母が 語 っ て く れ た よ う に、子 危機を救おうと誓い合っ り ま せ ん。日 本 で は、圧 倒 的 人 々 が 核 兵 器 ち 切 り、広 島 と 長 崎 の 緊 や 孫 や、そ の あ と に ず っ だ」と言い放ちました。そ 廃絶を望んでいるのです 急 救 護 所 を 閉 鎖 し ま す。 うことは間違いあ か ら、自 覚 し た 市 民 が 社 以後1957年に原爆医 と続く世代を同じ目に遭 わ せ と う あ り ま せ ん。命 た」と謳いました。 私の子どもまで焼 い て し 会 に 働 き か け、核 兵 器 廃 療法がつくられるまでの れ を 受 け て 日 本 政 府 は、 まったのです。」 絶を推進する政府をつく 史 樹 ち ゃ ん の 死 後、両 親が綴った闘病記は、『ぼ く 生 き た か っ た 』と い う ることが大事だと思いま 爆 者 を つ く る な 』と 訴 え が続く限り 『ふたたび被 本 に な り ま し た。被 爆 者 す 」と 藤 森 さ ん は 話 し ま 年 間、被 爆 者 は 放 置 さ ばかりかその子ど も に ま 続 け て い き た い 」と 語 り の水爆実験で ます。 静岡のマグロ 月のNPT再検討会 議には長野医療生協から し た。こ れ を 機 禁 止 の ア ピ ー ル 署 名 」を 万2000筆集めて託 す 。3 2 0 0 万 世界中の草の根の世論が に日本中で核 筆を超える核 あ っ た か ら で す。こ れ こ し た い と 思 い ま す。 年 兵器禁止を求 1956年に結成され た日本原水爆被害者団体 協議会は結成宣言で、「自 原爆投下から か月後、 ら を 救 う と と も に、私 た アメリカの原爆調査団の ちの体験を通して人類の 2015年が核兵器廃 絶への飛躍の年になるよ う力を合わせましょう。 (編集委員・田村 昌美) める署名が集まりました。 そ 核 兵 器 廃 絶 の 力 で す。 漁船第五福竜 代表 名 を 派 遣 し ま す。 丸の乗組員た ビキニ環礁で れました。 そんな 中、 1954年の す。 で執拗に付きまと い 苦 し め る、核 兵 器 の 恐 ろ し さ を 告 発 し て、大 き な 反 響 を呼びました。 千発と減って な い の は、核 大 国 や 唯 一 の被爆国である日 本 の 政 府が核兵器全面禁 止 へ と 動 き 出 さ な い か ら で す。 2 たくさんのみなさんに読んでいただいています。 その中から感想を紹介します。 A5判 136ページ・頒価300円(税込) 長野県は、国策として多くの県 民が満州に渡り、私の祖母も満州 での厳しい生活を経験していま す。51人 そ れ ぞ れ の 体 験 記 は、 「二度と戦争を繰り返さない」と いうメッセージを私たちに託し ているのだと思います。私たちも、 平和を自分たちの手で作ってい きたいです。 (T.Iさん) 上條さんの体験を読み、戦時 中、長野でも空襲があり家屋が 破壊され逃げる様子は衝撃的で した。疎開での苦しい生活も今 からでは考えられません。現代 での当たり前の 「平和」が当たり 前ではないことの恐怖を感じま した。 (T.Yさん) 4 1 10 12 2010年参加の清水天平さん(長野中央病院看護師)。 ニューヨークで署名活動 11 どの体験も生々しく、その光 景がまざまざと浮かぶものでし た。平和な現代に生きる喜びを 改めて感じると共に、当時のよ うな非日常を二度と現実にして はならないと思います。多くの 人にこの体験記を読んでもらい たいです。 (K.Yさん) NPT期間中には、国連のあるニューヨークに核兵器廃絶を 求める人びとが世界中から集まりアピールする ふたたび被爆者 をつくらせない 70 原爆投下から 年のいま ら、 万 現 在、世 界 の 核 兵 器 は 冷戦ピーク時の 万 発 か 7 は い ま す が、ゼ ロ に な ら 6 しかし世界では国 連 加 盟 193の国々の圧 倒 的 多 数の政府が核兵器 廃 絶 を 主張しています。 1 70 1 2015年 1月発行(2) 療 医 の な ん み 第499号 長野中央病院待合に設置された署名コーナー 支部、地域活動部で取り扱っています。 な 医 療 50 長野医療生協の原点がここに ! 発刊 ! 長野医療生協 年誌』 頒価1000円(税込) 50 A4判 208ページ オールカラー 2015年 1月発行(6) 「 年 東日本大震災 が発生した2011年暮れに 誌」 の編集が始まりました。奮闘された先輩たち、 地 域やお世話になった方々への感謝を込めて、「読みや すく、 楽しく、 医療生協 がよくわかる」記念誌をめざ 50 の しました。 「絆」は、 長野医療 被災地への支援で感じた人間の 生協 年のあらゆる場面で輝いています。「健康をつ くる、 平和をつくる、 いのち輝く社会をつくる」 という 医療や介護を支える事業所 からのメッセージ 医療生協活動が身近になる記念誌です。ぜひご購読 多彩で活発な組合員活動 ください。 (編集委員長・市村 はる美) わかりやすい文章と豊富な 写真でつづる50年のあゆみ ん 『絆 あらたな半世紀へ み 第499号 くろう! つ で な ん み すてきな“9条ブローチ” 女性の組合員さんの胸元に、 さりげなく付けられたブローチに目がとまりました。 真ん中に刺繍されているのは、 もしや 「9」 では? 「それなあに?」 と思わず聞いたブローチは、 平和への思いを込めた手作りの1品でした。 考案者の川中島支部・滝沢ケイ子さんに聞きました 川中島支部で 「9条ブローチ」 を作り始めたのは、 2013年5月頃 からです。 地域の組合員や新日本婦人の会のみなさんと、 憲法9条 の学習会をしたのがきっかけです。 「9条を守る運動をするには何 か媒体がほしいね」 と考えついたのが、 この9条ブローチです。 着物を解いた古布を使い、 3つのパーツを組み合わせて作るの で、 色彩にもこだわりました。 気軽に広げてもらえるように価格 は100円にしました。 平和を守る息の長い運動にしようと、 月に1、 2回集まって、 これまでに600個以上も作りました。 ブローチづくりを楽しむ川中島支部のみなさん (右から2人目が滝沢さん) 作り方はむずかしくはないのですが、 一緒にやってみるとス ムーズにできます。 班会などに呼んでいただければ講習ができま すので、 どうぞご利用ください。 【講習会などの問い合わせ】 地域活動部☎026-234-1476 パーツを 組み合わせて ブローチを つくります セージ。 れたメッ ら え 添 ーチに 9 条ブロ 子さん作 青島重 は 紙 絵手
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